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top [2005/06/22] 曖昧な首大成立の過程:裁かれるのは誰か?

2005年6月22日<reflection>

曖昧な首大成立の過程:裁かれるのは誰か?[2005/06/22]

0. イントロダクション
6月19日の朝、サンデーモーニングの「風をよむ」のコーナーで、「裁判員制度と 日本人」というテーマを取り扱っていた。新たに裁判員(アメリカの陪審員にお よそ相当)の制度を2009年から日本に導入するにあたって、街行く人達にインタ ビューしていた。曰く、日本人の信条にあわない、という方向の議論がされて いた。その中の典型的日本人的思考として、字幕にも登場したものを含めて、 インタビューの中の言葉を拾ってみると以下のようになる。

・人に恨まれるようなことはしたくない。
・角をたてたくない。
・丸くおさめたい。
・濁らせておきたい。
・玉虫色にしておきたい。
・白黒つけたくない。

人が人を裁くという司法の現場に、 ふだんは裁判と何の関わりもない普通の日本人が入っていき、裁判員という名 のもとに、自分の判断を決め、それを表明する。確かに、今の日本では難しそう だ。それは、上で挙げた言葉が象徴するように、「はっきりと自分の意見を 主張する」ことをネガティブに捉える社会的風土が、未だに日本にはあるか らだろう。 一言で言えば、「曖昧にしておきたい」という心理だ。

それと同時に、「誰かが自分と同じ意見を述べてくれないか」と待ち望んでいる 人達、「はっきりと意見を言った人の揚げ足取りをしてやろう」と思う人達が 存在し、事態を悪化させている。さらに、複数の明確な対立する意見表明があり、 そこから議論して、(感情的になってケンカをするのではなく) よりよい案を作っていこうという姿勢が日本の至るところで欠如しているように思える。

このような風土の中で、他人を批判することはリスクを伴う。 「いろいろ言ってくれるじゃないか。でも、おまえはどうなんだ?」という 批判に対する批判が噴出し、「自己反省」をさせられる。 感情的になったり、逆切れしたりするのは、批判に耐えられない人達だ。

しかし、そもそも科学(science)の世界では、状況は180度異なっている。 論文や発表は、明晰であることを求められ、感情的にならずにあくまでもクール に議論を進め、より実りの多い方向へと流れていく。批判は当然のように行われ、 科学者は、批判されたことで感情的になったりしないのが普通だ。

振り返って見て、 「首都大学東京」(=首大)構想がいかに間違った方向に進んでしまい、 なんでその成立を阻止できなかったのかを考える時、いったい誰がその責任を 負うべきだったか(=誰が悪かったか、裁かれるのは誰か)を考えざるを得ない。 そんな時、「関与した人はみんな悪かったんだ」と言ってしまうのは簡単だ。

今回は、JANJANに掲載された記事(「東京都立大学の終焉、そして首都大学東京」 2005/06/11,http://www.janjan.jp/culture/0506/0506098149/1.php ) を中心に、最近の石原都知事周辺の報道を加味しながら考察する。最終的にたどり着くのは、 都知事の無謀な計画を許してしまったものは何か、という視点だ。

1.   「誰が悪いか」を列挙する視点
 「東京都立大学の終焉、そして首都大学東京」というJANJAN掲載の記事では、 「この事件で誰が『悪い』か考えてみたい」で始まる部分から、 悪者(!)が列挙されてコメントされている。

(1) 東京都都知事
(2) その下の都庁役人(の一部)
(3) 教員・学生に罵られながらも、首大構想を推進した恩賞として学部長に就任した教員
(4) 都庁の暴走を阻止できなかった都議会(文教委員会=都議会の教育部門担当委員会)
(5) 大学に無理解な多くの都議会議員
(6) 都庁を手厳しく批判できないマスコミ
(7) 母校を守れなかった同窓会(旧・八雲会)

このリストに、「週に2、3回しか登庁しない知事に変わって実権を握っていた浜 渦副知事」,「大学管理本部のいいなりになって動いた教員」、「最初から最後 まで黙って傍観した教員と学生」、「組織的なデモやストライキをできなかった 反対運動に携わった教員と学生」、「大学認可にGOサインを出した設置審と文部 科学省」を入れると、 結局、ほとんど全ての関係者が悪いということになってしまう。これは、 上で述べた安易な結論と同じだ。「みんな、それぞれ悪いのだから、まあしようが ない」というのでは、一歩も前へ進むことができない。

2.   「張本人」という視点
 そこで、張本人という考え方に絞って考え直してみよう。 張本人とは、「事件などを起こすもととなった人。悪事の首謀者」 (「明鏡国語辞典」携帯版 P.1060)のこと。 それは、当然のことながら、都立4大学統合の掛け声をかけた石原慎太郎東京都知事だ。 一部には、石原氏を都知事に選んだ300万都民にその最終責任があるのではないか、 という説を唱える者もいるようだが、それは少し違う。[06/23/05修正]

選挙前に、立候補した人を見て、その人がどのような政治活動をするように なるのかは、必ずしも明白ではない。つまり、選挙公約が守られるというケース は、むしろ少ないのが現実ではないだろうか。

都立大生の中にも、知事第一期の時に、石原慎太郎氏に投票したと告白した者も いる。彼らは、当時、石原氏の「発言の明瞭さ」と「行動力」に魅力を感じたと 言っていた。私は、まさにその2点で、多くの都民が惑わされたのだと思う。

Steve Kaufmann という人が(http://thelinguist.blogs.com/how_to_learn_english_and_/2005/06/ishihara_shinta.html) で次のように言っているが、正にその通り。

Ishihara likes to make outrageous statements which appeal to certain Japanese people who like it when their leaders are allowed to say things that people usually only say after a few drinks.

つまり、「普通の人だったら何杯か酒を飲んだ後だけに言うようなこと」という のがあり、日本ではそれをよく「本音」(ほんね)とか言うのだが、通常の判断 力のある時には口にしないことを公の席で言ってしまう、というのが第3点。 言い換えれば、 「普通だったら理性が働いて言わないことまで言う」ことで、一般人に<うける>というやり方だ。

まとめると、石原都知事は、その都政においてやっている内容ではなく、 その行動の類型が一般人/一般選挙民に<うける>のだ。
(a) 白黒をつけ、はっきりと発言する。
(b) とにかく、できることは行動に移してしまう。
(c) 普通だったら理性が働いて言わないことまで言う。

その結果、<都政の難しいことはわからないけど、「いい人だ」> と思っている都民が大量発生していると考えられる。 何をやっているかに興味のない人達がいっぱいいるということだ (東京都に住む知人の両親と、先日話す機会があり、このことを強く感じた。 彼らは、都知事が何をやっているのか全く知らなかったが、都知事はいいことを しているに違いないと信じていた)。

石原都知事が音頭を取ってやっている政策に、直接的被害にあった人達は、 その政策内容に関わる人達だ。徐々に知られるようになってきたが、 東京都の病院統廃合問題、東京都の図書館統廃合問題、東京都交響楽団に対して の任期制・評価制度の導入そして都立4大学廃校・首大設立問題。 共通項としてあげられるのは、赤字都政を救うという名目のもとに、 本来減らすべきでないような福祉や文化行政の切り捨てを行っている、 ということだ。

もう1つの側面は、「作る会」の教科書を強制的に養護学校に導入した件に見ら れるように、<日本の過去の悪いところには目をつむり、美しいと思えるところ を強調したい>という姿勢だ。その根底には、<日本は悪くない。他の国が悪い> という子供じみた意識があるような気がしてならない。

イギリスのタイムズ紙(The Times)は、6月1日、石原慎太郎東京都知事とのインタビューを 掲載したが、冒頭で内容を次のようにまとめている(以下引用)。

JAPAN's most popular politician has called for a boycott of the Beijing Olympic Games and urged his Government to fight a Falklands-style “minor war” if China attempts to occupy disputed islands claimed by both countries.

中国との領有権を争っている島々にでかけていった石原都知事の様子は、ニュー スで流れたので知っている方も多いだろう。都知事は、なんとタイムズ紙とのイン タビューで、「北京オリンピックのボイコット」と「フォークランド紛争の時 のような小規模の戦争(minor war)を中国に対してしかけるように政府に働きかけている」 というのだ。

「日本で最も人気のある政治家」とタイムズ紙が紹介する根拠は、以下に引用す る部分にある。

Mr Ishihara abandoned national politics ten years ago and his position as Tokyo's Governor gives him little opportunity to put his alarming ideas into practice, but his outspokenness and indifference to criticism have won him remarkable popularity. In last month's poll in the bestselling Yomiuri Shimbun, 31 per cent of respondents named him as their choice as prime minister. The incumbent, Junichiro Koizumi, managed 16 per cent.

つまり、読売新聞の世論調査では、31%の人が次期の首相に石原慎太郎の名を 挙げ、16%の人が小泉純一郎の名を挙げたからだ。 ちなみに、その人気の秘密を、タイムズ紙は "outspokenness" (遠慮無く、ずばずば言うこと)と "indifference to criticism" (批判に対して無関心であること)をあげている。

3.   民の意思とマスコミの視点
 石原都知事の政策に無知な都民、あるいは国民は、実際に多いと思われるが、 彼を支える選挙での得票は、その行動の類型が一般人/一般選挙民に<うける> ことにある。その背景には、政治(内容)に無関心な人々人さえ選ん でしまえば、後は政治家が政治をやるという間接民主主義の誤解がある。 その意味で、最終的には、政治に無関心な人達が、石原慎太郎を飼っている、と も言える。

さらに、それを助長しているのは、マスコミだ。 都立大問題に関しても、それなりの反応をしたかに見えるマスコミだが、 100名を越える教員が1年半の間に大学を去ったというのは、これまでの 日本の大学の歴史の中で教育大廃校問題と並んで、全国的な大ニュース であったはずだ。しかし、ほとんどの記事、ほとんどの新聞が、 東京都の地方版にしか記事を掲載しなかった。

週刊金曜日(2005年No.561, 6月17日号)は、この石原都政を追求できない マスコミの事情にメスを入れている。

石原氏は、ベストセラー作家でもある。光文社、幻冬社、新潮社、角川書店をは じめ、文藝春秋社、講談社、小学館などの大手出版社からも作品を出している。 つまり、知事のご機嫌をそこねるようなことを書くと、次は自分の所から、 本を出版してもらえないのではないか、というブレーキが働くというのだ。

新聞社系の場合、東京都との共催事業というのがある。スポーツ大会や美術展な ど、東京都の協力を得ないとやっていけないような事業を常に抱えている。 知事の意にそぐわない記事を書いた記者、面白くない質問をした記者に対して、 石原知事は徹底的に応戦する。そんな風に、敵として見なされてしまっては、 新聞社もたまったもんではない。

実際の週刊誌の記事や、その内容、ボツになった記事のいきさつに関しては、 「石原慎太郎氏を追求できない出版社の弱み:都政大混乱の元凶は、 働かない知事と恐怖政治の副知事」(P.8-11)を参照して欲しい。 この記事の最後の部分だけを引用しておく。

アジア蔑視の発言など、およそ首都の知事としてはふさわしくない暴言を続けな がらも人気を保ち続けている石原知事。どうやら、多くのメディアもそのお先棒 を担いでいるようだ。

4.   都知事の無謀を許してしまったものは何か?
こと「都立大・首大問題」に限って見ても、最終的に責任を負うのは、 石原慎太郎東京都知事であることは明白だ。がしかし、都知事の無謀な案を 推進し、実現してしまったものは、都知事の考え方を先読みして、それを 推進した周囲の人達ではなかったか?

その中には、最近の報道で実態が明らかになった浜渦副知事もいれば、 高橋 宏理事長、西澤潤一学長、さらに、東京都大学管理本部での会議で、 常に知事の意向を気にして、その先読みをして働いていた上層部の役人達と、 それに同調して働いていた一部の大学幹部がいる。 この人達あって初めて成り立ったのが、石原都知事の「首大構想」なのだ。

これで三役がそろった。一番上に、石原慎太郎東京都知事、その下の層に、 先棒担ぎの人達、最下層には、(本当は政治そのものに無関心だが) 石原都知事の行動類型が気に入って投票した都民がいる。 この三層構造こそが、石原都政を支え、「都立の4大学破壊」 と、いびつな<新大学とは名ばかりの>「首大」を作り出した基盤である。 裁かれるべきは、この人達だ。

何事もなかったかのように忘れてはならない。曖昧にして、放っておいてはなら ない。後々で、必ず放漫な態度でいた<ツケ>が回ってくるのだ。 間違ったことをしようとしている指導者には、きちんと NO! と言わねばならな い。それができなければ、この国の教育だけでなく、すべてのシステムが、 やがて為政者の思うがままに変えられてしまい、引き返せないところまで進んで しまうだろう。為政者を怖がってはいけない。先棒を担ぐのは、もってのほかだ。 御用学者も必要だろうが、学者のはしくれとして、きちんと NO! と言うべき時 には、NO! といわねばならない。そして、国民として、政治の内容を監視し、 間違ったことをやろうとしている政治家には、ストップをかけねばならない。


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