「新大学のブランドの大暴落の現状とその原因」を再検討する [2005/12/28][2005/12/31]修正
1. イントロダクション2005年が終わろうとしている. 100件以上の抗議声明 や都立大教員や学生・院生の懸命な反対運動にもかかわらず, 前年度におりた設置審の認可に基づき, 4月から首都大学東京が公立大学法人首都大学東京の元に開学してしまった. 学則や, 定款に関しても, 法人の中期計画・中期目標 に対しても,学内からは多くの修正意見が出されたが, その返事はほとんど「のれんに腕押し」の状態で,ほとんど無視されたといってよい (参照: 学則に関する返事, 定款に対しての意見(FAQ W-13), 法人の中期計画に対する修正案とその返事, 中期目標に対する修正案とその返事 ).その結果,予想通りの混乱が2005年4月から始まったのだ. その多くは,「国立大・国 際水準以下の新大学ーーエスカレートした大学管理強化」(2004/8/9) や, 設置認可がおりた後の総長声明(2004/7/4) に指摘されている危惧が現実となったものである.
2005年12月22日, 都立大・短大組合「大学に新しい風を」編集委員会は, 『大学に新しい風を』 第8号(PDF)(2005年12月16日)を公開した.
首大フラッシュで, 私は「2005年12月15日 新大学を憂える教員有志による『新大学のブランドの大暴落の 現状とその原因は何か?--大学の再建策はどうあるべきか--』は『首大』の現状 を理解する上で必読の力作」 と12月23日に速報した.
実際に,首都大学東京の現状を分析し,外部へ伝えるという視点から見ると, これまで都立大・短大組合が発表する資料(「手から手へ」)しかない状態が続 いており,横浜市立大学のように,学内の情報を積極的に公開し,問題点を指摘 するようなサイトはない.その理由は,(1)「内部情報を公開してはならない」 とする法人の定款の縛りがあるからだろう.また,(2) 非就任者が,積極的に情報公開すれば,少数派である非就任者は,当然,なんら かの報復をされる危険性がある.(3) 就任者が積極的に情報公開すれば, それは,首都大学東京に所属する者の自己否定となってしまう.
「新大学を憂える教員有志」の文書は,(3)の立場から書かれたものだが, 匿名にすることで,自己否定的になることをたくみに避けながら, 包括的に現状分析を行なったものである.その意味では,力 作だが たまらん に引用された一非就任者の意見にあるように,
ここに挙げられている諸々の問題点は、 すでにあの8月1日以降、常に論じられ批判され予見されてきたものだという事実、 そのうえ、そうであるにもかかわらず、この「教員有志」のなかのおそらく少なから ぬ人たちが新大学開学準備に協力し、さらにはその協力態勢を率先して推進してきた指導者で あったという事実が不問にされている...
という側面が(2005/12/31)意見もある.このような(2005/12/31)
「ここに挙げられている諸々の問題点は、
すでにあの8月1日以降、常に論じられ批判され予見されてきたものだ」という観点から,
「新大学のブランドの大暴落の現状とその原因は何か?――大学の再建策はどうあるべきか――」
(以下,『ブランド大暴落文書』と略)をいくつかの点に絞って再検討してみた
い([2005/12/31] A氏からのコメント
に答えるを参照).
『ブランド大暴落文書』の序の「大学の危機的状況」の第1には, 教員流出の状況に関して,次のように説明している.
1. 重大な状況の頭脳流出: 多数の就任承諾書非提出者を含む百名以上に上 る教員の大量転出が続いており、有能な教員の頭脳流出は重大である(03 年7 月31 日以降、今年3 月31 日までに転出した教員数は、学科によって は、この3月に12〜40%の教員が退職した)。教員任期制導入後、最近行わ れた新大学の公募人事で、これまでの都立の大学の公募人事ではありえな いような低調な状況が創り出されていることの背景を充分に吟味する必要 がある。
クビダイ ドット コム に, 「首大構想はどれだけの教員流出を引き起こしたか (まとめ)」 が投稿されているので,そこから詳しい状況を推察できるが,実は, 過去3年間の教員数の推移に関しては, すでに詳しい数字が出ているとの情報を読者の方からもらった. 情報源を明さないとの条件で,ここにその数字の一部を紹介する了解を得た. なお以下では, 教員数の減少部分が分かりやすくなるように,入手した情報に手を加えてある.
H.14年度 | H.15年度 | H.16年度 | H.17年度 | 3年間の教員数減合計 | |
教授 | 312 | 303(▲9) | 285(▲18) | 274(▲11) | ↓38 |
准教授・助教授 | 257 | 253(▲4) | 237(▲16) | 244(▲7) | ↓13(↓27*注1) |
講師 | 45 | 42(▲3) | 39(▲3) | 9(▲30) | ↓36 |
准教授B・研究員・助手 | 232 | 212(▲20) | 192(▲20) | 176(▲16) | ↓56 |
教員数合計 | 846 | 810(▲36) | 753(▲57) | 703(▲50) | ↓143(↓157*注2) |
表1から分かるように,平成17年度(つまり,2005年4月1日)時点で,教員数は 703名であり,これは,3年前の2002年4月1日の846名に比べて143名減(約17%減) であるが,これは,2004年度の採用者14名が加わった数である.その14名分を加 えると,157名減(約19%)ということになる.
2005年4月1日以降,首大には,合計45人の新規採用教員が加わっている. しかし,2005年12月の現時点で,少なくとも9名(仏文1,政治学1,材料化学1, 英語2,情報通信2, 昨年度にすでに割愛を認められた1,助手1)は転出する.退職教員がどれくら いいるのか,新規の人事が今年度になってどの程度行なわれているのかが 不明なので,最終的な教員数は分からない. しかし,『ブランド大暴落文書』の上記の引用文の最後にあるように 「教員任期制導入後、最近行われた新大学の公募人事で、これまでの都立の大学 の公募人事ではありえないような低調な状況が創り出されている...」 ので,公募は行なわれているが,低調な応募状況 であるらしい.
『ブランド大暴落文書』に詳細に渡って述べられているように,首都大学東京 (並びに,都立の4大学)は「危機的状態」にある. そして,その「危機的状態」が,教員流出の原因となっている, という認識は確かに正しい.しかし, 教員の流出の根本的理由は,煎じ詰めれば次の1つである.
●大学に魅力がなくなった.
なぜ首都大学東京が,大学として教員に「魅力がなくなった」のかというと, その理由は,以下の4つであろう.
(1) 大学運営の基本方針が間違っている.
(2) 研究環境が悪い.
(3) 教育環境が悪い.
(4) 待遇が悪い.
以下では,この順序で『ブランド大暴落文書』に従って現状分析をし, 簡単にコメントを加えることにする.なお,本質的な部分は,上記の非就任者の コメントにあるように,「ここに挙げられている諸々の問題点は、 すでにあの8月1日以降、常に論じられ批判され予見されてきたもの」である.
首都大学東京と都立の4大学は現在, 「公立大学法人首都大学東京」の元に 運営されている.*注3 首都大学東京は,理事長が学長と兼任するような国立大学法人とは異なり, 理事長は大学の教員ではなく,経営側の外部から入ってきた人間である(現理事 長は,石原慎太郎東京都知事が担ぎ出した). <経営と教学の分離>というスローガンの元で作られた現在の首都大学東京のシステムだが, 副理事長には,事務局長と,教学部門の長である学長がいる. 事務局長は,人事委員会と研究費配分・評価委員会の長も勤めているので, 絶大な権力を手にしている.
そして,この事務局長は,当然のことのように,東京都から派遣されてきているのだ. 「法人化によって,大学の自由裁量で運営できる部分が増える」 という一般論は,ここ首都大学東京では,まったく通用しない. さらに首都大学東京では, 「経営審議会における教学側の発言権がない」ので, 研究や教育に配慮された大学運営がうまく機能しないであろうことは, 発足前から十分予想されていたことだ.
このあたりのことを,『ブランド大暴落文書』(P.13)では, 「E.法人による大学運営上の重大な問題点」として,以下のように説明している.
1) 知事は、大学構成員の総意に基づき選出した総長を新大学の学長として任 命せず、外部からの別の人物を任命した。また学長よりも権限を持った理 事長および事務局長(筆頭の副理事長)をその上に置き、事務局長が、副 理事長を兼ね、人事委員会と研究費配分・評価委員会の長をつとめるだけ でなく、「経営企画室」を総括している。これは、事務局長が、予算、人事、 企画運営などほとんどの重要権限を一手におさめることであり、実質的に 副理事長である学長を超える権限を持つだけでなく、実務部門を掌握して いることから、事実上No.1 の権限を掌握していることを意味する。しかし 事務局長は、法人を代表する理事長と異なり、都の幹部職員からの強いコ ントロールのもとに置かれるから、本来独立性を保持すべき法人が都から の直接支配におかれてしまい、地方独立行政法人法の趣旨にも反する事態 となっている。
東京都直属のトップダウン大学となってしまった首都大学東京であるが, そのトップである理事長,No.2である事務局長,そしてNo.3である学長は, 果たして大学を牽引しているのだろうか? 『ブランド大暴落文書』(P.13〜14)では,以下のような指摘がある.
6) 副学長(2名)、図書情報センター長、学生サポートセンター長、オープン ユニバーシティー長という大学の主要ポストが空席のままであり、教育者 としての責任が取れないだけでなく大学の体をなしていない。とくに副学 長が空席の結果、人事委員会の委員として副学長など教員の参画がなく、 法人および事務局長を始めとした事務幹部の裁量のもとに置かれている。
これは驚くべき事態である.理事長,事務長,学長はいるものの, なんと,副学長2名,図書情報センター長,学生サポートセンター長, オープンユニバーシティ長が不在なのだ. これらの長は,学長が兼務という状態にあるらしい. その結果,人事委員会が教員の参画なしに進められているというのだ. このような事態は,当初の予想をはるかに上回る混乱だと言えよう. この結果,学長は大変な量の仕事をこなさねばならないことになっているはずだ が,特に学長の奮闘ぶりが伝わってきてはいない. これは裏を返せば, 空席になっている大学上層部のポストは,まったく機能していない, ということになるまいか?
すでに都立の4大学の研究費は,年々削減され続けてきた. そこへもってきて,一般運営費交付金が、年率2.5%の効率化係数で削減 される予定である(毎年約3.4 億円の削減). この削減は,研究・教育環境を直撃するのは必至である. 研究と教育以外の部分だけで,これだけの額の削減を賄えるとは到底思えないか らだ.
学内での研究費があまりにも少ないため,都立の4大学では,科学研究費補助金 の獲得が研究継続のための大きな条件となっていた. 『ブランド大暴落文書』でも過去の科研費獲得の状況が,公立大学の中でも飛び 抜けて高かったことを指摘しているが,本年度の獲得額は大幅に下落し, 一位の座を大阪市立大学に明け渡したことが記されている(P.8). その理由は単純には特定できないが,教員の流出,士気の低下,上層部の科研費 に対する無理解などが関係していそうである.
さらに追い打ちをかけるのが,職員の有期雇用制度である. 大学職員の数は,これまでも減少の一途にあった.行政改革の一端であり, 公務員削減のターゲットになっていたからだ. 公立大学法人になったら大学職員を大切にして,大学の独自性を出すべく頑張る, などという発想は元から無かった.基本的には,より経費のかからない形で職員 を雇い入れ,大学経営の赤字を減らすことしか念頭になかった,といえる. 以下の『ブランド大暴落文書』(P.12)は,まさにその点を指摘しているが, これも当初の公立大学法人首都大学東京の確固たる指針であったことを思い出さ ねばならない.
従来からの職員(現在は都から派遣された公務員よりなる)を、1 年任期の 有期雇用の固有職員(3 年まで更新可の契約職員)や人材派遣会社からの職員 へと代替えする計画が進められている。この代替え計画が教員組織あるいは労 組との協議を全く無視して強引に進められており、ますます貧弱な教育研究環 境となることが危惧される。このような計画は、支援・管理の質を下げ、大学 の教育研究の質を切り下げ、教員の事務的作業の負担を増大させるものであり、 学生にとっても受け取るサービスの著しい低下を招くであろう.
大学という機関は,純粋な研究所とは異なり, 研究と教育が並行的に行なわれる特色を持っている.研究が滞れば, それは教育にも影響を及ぼす.研究者であり教育者である教員は, これまでは,直接的・間接的に教授会を通して自らの意見を反映させることので きる仕組みが大学にはあった.しかし,そのような仕組みが「非効率的」であると し,トップダウンに大学の研究・教育をコントロールする方が迅速に効率的な決 定ができると,東京都大学管理本部は主張し, そのような体制を築き上げてしまった.その結果は, 『ブランド大暴落文書』(P.25)にあるように, 「教育・研究の現場からかけ離れた」決定に従わざるを得ないような状況をもた らしているようだ.
その多くが法人組織およびその長(理事長・副理事長) によって任命された管理職が、決定する仕組みに変えられた。 「効率主義」は、会社や役所におけるピラミッド構造の上意下 達型運営となり、この結果、決定は、教育研究に直接責任を負う教員にとって は、教育・研究の現場から懸け離れたものとなるばかりか、自らの参加意識の 欠如した決定となるので、教員にとっては、責任の負えない、あるいは外部か らの強制力による義務的なものと感じる教員が増大した。その結果、面従腹背 や非協力を極端に拡大させ、多くの教員の英知の結集・活用を不可能とした。 このように現場を無視した上意下達型の決定は、民主的に決定されたものと異 なり、結局のところ実践主体の英知が生かされないために、かえって、「効率」 どころか非常に非効率な結果を招いてしまった。まさしく大学の特殊性をかえ りみないことから生じた大混乱であるが、その数多くの具体例がこの半年間の 実際を通じて判明しつつある。従来は、教員による選挙に基づく管理者(学長、 学部長、学科長など)の選出という形態でのフィードバックが働き、破滅的な 運営や暴走が避けられてきたが、新法人の運営形態ではそれが機能する仕組み が存在しないのである。
オープンユニバーシティ問題も深刻である. オープンユニバーシティ(FAQ E-5)は,おおざっぱに言ってしまえば,社会 人教育に特化した組織である. オープンユニバーシティ(FAQ E-6)ですでに指摘されているように,以下の ような数値目標を掲げてスタートした.
平成17年度には合計150講座を開講し,受講者3,000名(延べ24,000人),平成18 年度には合計300講座を開講し,受講者5,500名(延べ44,000人),平成19年度に は合計500講座を開講し,受講者9,000名(延べ72,000人)を目指す.
本気でこれだけの講座を用意し,受講者を集めるなら,莫大な予算と,人材,そ れにPRが必要になる. (1) キャリアアップ・リカレント教育, (2) 学位取得を目的とした継続教育, (3)一般向け教養教育 の3本柱を掲げた社会人教育と言えば聞こえはいいが, 「絵にかいた餅」にしないためには, 入念な市場調査と適切な予算措置が必要なだけでなく, 教員と職員の意見を吸い上げ,すばやく実態に即した運営のできる組織が必要と なる.
これらの必要性は,全く考慮されずに,オープンユニバーシティ長すら不在の組織だけが作られてしまった. 事務長指導の元に,来年度は合計300講座を目指すのだそうだ.この点に関して は,『ブランド大暴落文書』(P.9)に以下の記述がある.
オープン・ユニバーシティ(OU)の基本計画はOU 検討部会で作成するこ とになっているが、法人による一方的な方針の押しつけが行われ、教員と事務 室に混乱がおきている(経営審議会が教員に対して非公開であり、その議を経 ているのかどうかも不明)。来年度基本計画案として「300 講座実施」という 「法人の方針」がOU 検討部会に示され、昨年の倍のノルマが教員の実態を無 視して提示された。基本計画案について教授会で議論するなどの、大学として 最低限の手続も取られておらず、調整主体であるOU 長(現在は学長が兼務) が「不在」である。本来ならばOU長が、教員の意見を集約し調整を行う役割 を負うべきである。OU 所属教員は、従来通り短大、学部や、大学院の授業を も担当しており、各学部・学系に諸属する教員にも講座の割り当てが機械的に 降ろされた。教員の実態をふまえた講座数の設定などを強く申し入れた後も、 法人トップは聞き入れない態度をとっており、それどころか2年後には500 講座の実施を至上命題としている。当面の300 講座実施の方針ですら来年度 の教育・研究指導に重大な支障をきたすものであるとして、教員の意向を反映 した基本計画案とすることを求める意見表明を行うことが、人文学部では教授 会で決議された。また講座担当者は頑張ってはいるものの、肝心の都民への宣 伝費がわずかであることから、参加人数が非常に少なく、非常に苦慮している 状態である(6000 万円の事業収入の当初予算が建てられているが、収入の実 態はそれに見合っていないようである)。
実際に,2005年11月10日,人文・社会学系長は, OU長を兼任する西澤潤一学長と,OU事務長宛に「要望書」が出したようだが, 2005年3月31日までと同じように,「のれんに腕押し」だったようだ. つまり,このまま(予定の受講者数をかなり下回った状態?)で,講座数を 300へと倍増させる計画が実行されるようなのだ.法人の中期計画通りに!
学生・院生の教育保障問題も,危機的な状況にあるようだ. 『ブランド暴落文書』には,都立大の学生・院生の教育保障問題は登場しない. しかし,公立大学法人首都大学東京は,都立大学の学生・院生に対して, 特別な教育的措置をとっているという話は聞かない.以前, 都立大学大学院生の課程博士論文に関して, 「他大学へ転出した教員を主査とすることを特例として認める」といった 了承を都立大学院生会は取っていたが,これも制度的に無理であるというような 噂が聞こえてきている.
最後に,大学教育とは関係ないような話を持ち出させてもらう. 単位バンク問題である.『ブランド暴落文書』は,従来通りの批判を繰り広げて いるが,首都大学東京で単位バンクがどのように現在実施され,どれだけの単位 が認められる状況が出来上がっているのかについては,口を閉ざしている. システムデザイン学部で,数単位が単位バンクとして登録されたという噂を, 私は秋になってから耳にした.目下の所,理事長がH大学へでかけていってお願 いしたとか,H学部がR大学と交渉中だとかいう噂もある.何よりも驚かされるの が,「ボランティア」を本当に大学の単位として認定しようという動きが, 教員の間で出てきているという噂だ.<単位をもらえるから,海外青年協力隊に参 加する>というのは,おかしい.「ボランティア活動」の本来の意味を忘れているの ではないか?それに,いったいどれくらい「ボランティア活動」をやったら, 何という科目の何単位に認定するというのか?そして誰が,その成績を評価する のか?
教員の年俸制・任期制に関しては,すでに「手から手へ」2389号 で,組合と当局の合意に関しての説明がある.同文書からその合意内容の中心部 分を引用する.
すなわち年俸制・教員評価を全教員に適用することを容認し、他方、 任期制選択は本人の自由意思で行うことの確約、 任期の付く研究員(引き継ぎ教員)の再任回数増加と任期延長、 任期のつかない教員への昇給(当面2010年度まで)を認めさせた。 また、制度の非合意事項については引き続いて協議することなどがその具体的な内容である。
年俸制導入,という話を最初に聞いたとき,これは,高い年俸を払って非常に優 秀な研究者を他大学から引き抜くということか,と思った.実際にそのような年 俸制を導入している大学もある.しかし,首都大学東京の年俸制は, 「賃金の抑制」をその主な目的としているように思える.誰がどのようにやるか, という問題を抱えた「教員の評価」を実行し,それに基づいて年俸を決める, というのである.「教員の評価」のさじ加減1つで,全体の給与をコントロール できる仕組みだ.最初は「甘く」,じょじょに「辛く」することで,ソフトラン ディングを狙うこともできる.経営的視点からみると,非常にありがたいシステ ムであろう.
組合の合意内容からすると,全員任期制という事態は避けられたようだ. しかし,実は,2005年4月からの任期制と,今回話題に上った任期制は,給与体 系からして違っているらしい.つまり,2種類目の任期制が登場したことになる. なんでも,2005年4月からの任期制では,あまりにも待遇がよすぎて,先行きやっ ていけなくなるのだそうで,もっと賃金体系を抑制したあらたな任期制が提案さ れたらしい.前の大学管理本部の案は,将来のことを考えてないとんでもない案 だった,との声が聞かれたとか.
任期制を拒否して,これまで通りの制度でいることを選択した教員は, 過半数にのぼるが,彼らは<「旧制度」教員>と呼ばれ,当初から昇給なし, 昇任無しの差別的待遇を受けている(教員身分の不利益変更). この部分に関して,『ブランド大暴落文書』 (P.10)は,次のように説明している.
1). 組合との団体交渉なしに、当局は雇用契約書提出を個別の教員に迫った
(しかし、組合の呼びかけに応えて、過半数の教員は、雇用契約書の提出を
拒否。また地方独立行政法人法59 条2 項(身分の自動継続)の規定に基づ
き、提出の必要がないという組合の呼びかけにより任期制教員も含めて提出
をしていない)。
2). 任期制を拒否した過半数の教員(「旧制度」教員と称している)に対して、
当局は定期昇給を停止という懲罰的制裁(戒告処分の場合、昇給が3 ヶ月遅
れるが、4月昇給の人は、すでに6 ヶ月以上昇給が遅れているので戒告2
回分の処分を受けたことに相当する)・不合理な差別を行い教員に経済的な
損害を与えているが、勤勉に働いても昇給・昇任がないことは、公序良俗に
反するだけでなく、地方独立行政法人法57条(注)に違反している。
3).「任期制を選択しなかった教員は、昇給なし」という就業規則の不当な規
定を当局側が削除したが、全ての教員給与を規定する就業規則(新旧両制度
とも)に昇給の規定が存在しないことは、労働基準法15条(文書による昇
給を含む労働条件の明示義務)に違反している。
4).昇任(昇格)者および新規採用教員は、すべて任期制をとるという措置を
当局がとっているが、これは大学教員任期制法の主旨に反する一律的な任期
制であり、教員による給与制度選択の自由を奪うものであるとともに、教員
公募に外部から応募する教員数の激減を招いている。
「法人当局による数々の不当労働行為」として,この他に5)〜7)が挙げられてい るが,これだけのことが行なわれているということは,遅かれ早かれ労働基準監 督局の調査が入る可能性も否定できないだろう.
トップダウンの組織を作り,時代に合った改革を迅速に行なうという掛け声とは 裏腹に,トップにいるのが理事長,学長,事務長だけで, 5つの組織の長が不在という, トップ不在の状況が首都大学東京では起きている.「大学内部の状況が分 からない外部からやってきた3人が,掛け声をかけたら,たちまちのうちに大学改 革が実行できる」などということはありえない.大学の内情を知る教員代表者が 関与せずに,大学を動かすことは,大学の破壊につながりはしても,決して「改 革」にはつながらない.
世間には,「石原慎太郎東京都知事が,都立大学を改革して新大学を作った」 と思っている人たちがいる.勘違いもはなはだしい. 首都大学東京は, 4つの都立の大学を無理矢理に縮小統合してできあがった大学で, 「改革」という名に値するのは,「予算削減を強行した」という部分だけだ.
私は,首都大学東京に就任したかつての同僚を一律に非難するつもりは毛頭ない. 中には優秀な研究者も教育者も多くおり,彼らの研究や教育を尊敬している. しかし,同時にこのように変貌してしまった大学組織を外から見るのは辛いこと だ.教員個人個人が努力して研究や教育の水準をあげることはできても,大学組 織が病んでいては,せっかくの努力も時間の浪費でしかなくなることもあるだろ う. システムの根源を変えなければいけない, それが首都大学東京の問題である.
『ブランド大暴落文書』も,大学の危機打開のための方策として,最後に以下に 引用する 23項目を挙げているが(P.31〜32), これだけの打開策を実行に移すには, 大学の設計をもう一度やり直すしかない, と私は思う.定款,学則を改正し,中期目標・中期計画を修正して,将来, 健全な大学運営が復活することを願ってやまない. ブランドにこだわる必要性は特にないが, 未来につながる研究教育機関としての確固たる地位を回復して欲しい.
1) 理事長がすべてを決めることができる制度を改め、合議制の理事会を設け、
成立要件や理事会の議を経なければ決定できぬ事項を規定すること。定款第
8条にある3名以内の理事については明瞭に3名と規定し、大学の教職員で
なければならないと規定すべきである。
2) 大学の重要な基本的事項を審議すると伝えられている経営審議会の審議内
容を教員に開示すること。
3) 教員人事に関する重要な決定に関わる人事委員会および研究費配分・評価委
員会の長を教員とし、教育研究審議会のもとにおくこと。
4) 学校教育法59 条1 項の「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を
置かなければならない」の条項に基づいた、教授会の機能回復を図ること。
最低限、普通の私立大でも行われている教授会による教員人事・学長選挙
が認められるとともに、大学の運営機能の回復をはかること。
5) 大学の種々の運営委員会は、教授会のもとにおくこと。
6) 一般運営費交付金の効率化係数(年率2.5%)による削減をやめ、公教育の
充実に責務を負う自治体として劣悪化している大学教育研究環境を改善す
ること。
7) 図書情報センター長として、教員が責任を持つとともに、教員研究費で維持
せざるを得ない状況を改め、教員・院生・学生が教育研究に不可欠な図書
予算の抜本的な拡充を図ること。
8) カリキュラムにおける混乱を解決するためには、数年先を見越した実施可能
なカリキュラム編成が必要。
9) 教授会による単位認定権限を侵し、学問の検閲の危惧のある単位バンク制を
やめ、単位互換制を他大学と協定すること。
10) 外国語教育を実践英語に矮小化せず、本来の語学学習=他文化の理解や読
解力、推理能力の向上をはかること。国際性の重要性に沿って第2外国語
の能力を向上させることを目標とすること。
11) 院生の研究予算を保障し、院生の研究環境を保障すること。
12) 学生サポートセンターの長を教員とし、大学研究教育との調整ができるよ
うにする。
13) 日野−南大沢間の連絡バス(交通)を学生・院生が講義等への出席が可能
となるよう整えること。
14) 生協に対する施設使用料計画をやめ、生協の活動を保障すること。
15) 移転教員のために必要な施設・設備を整えるとともに、移転費を保障する
こと。
16) 入試準備に対する対応策と当日の運営に万全を期すこと。
17) 大学院手当(特殊勤務手当)を調整額とすること。
18) 大学運営に欠くことができない専門家として職員を育てる方向に転換する
とともに、大学の業務を知り尽くしている職員を短期間で、別の都の部局
に移動させないこと。
19) テクニシャン・司書など専門的な技術職・事務職が大学において不可欠な
スペシャリストとして重要な役割を担っていることを認識し、長期的にス
ペシャリストを育成すること。
20) 同一労働、同一賃金の国際常識に基づき、固有職員の基本給と一時金等の
給与を大幅改善するとともに、雇用の安定化と身分を保障すること。
21) 固有職員が時間単位での休暇や慶弔休暇の取得を可能とすること。
22) 固有職員が仕事を覚えることが出来るように、その研修権を保障するとと
もに、派遣職員と固有職員との仕事の連携ができるようにすること。
23) 事務体制を元の1元的な体制に戻すこと。
「たまらん」からの引用の後
(1) 「という側面がある」→「という意見もある」.
(2) 「このような観点から」→「ここに挙げられている諸々の問題点は、
すでにあの8月1日以降、常に論じられ批判され予見されてきたものだ」という観点から,
読者の方(仮にA氏と呼ぶ)からのコメントを頂いた. その中で,今回の文書に関係する部分に対して, 以下に引用し,コメントに対しての私見を述べる(一部,引用符を入れ,個人情報に関する部分を削除した).
<この「教員有志」のなかのおそらく少なからぬ人たちが...
その協力態勢を率先して推進してきた指導者であった...>
という記述についてですが、私は先日...都立大に
行ったとき、組合事務室に立ち寄り、当該文書を中心に
なって書かれた方々が誰かということをお聞きしましたが、
断じて
その協力態勢を率先して推進してきた指導者
などではありませんでした。そもそも組合関係者で、
その協力態勢を率先して推進してきた指導者
がいるというのはいったい誰のことを念頭において言って
いるのかさえ私には見当もつきません。
一非就任者の意見として引用し
た部分に,
「この『教員有志』のなかのおそらく少なからぬ人たちが新大学開学準
備に協力し、さらにはその協力態勢を率先して推進してきた指導者であった」
という部分があるが,この部分に関しては,事実関係を私が個人的に調査したわ
けではない.従って,事実関係は分からない.この引用の中で,本論で中心的に
扱うのは,引用の前半部分「ここに挙げられている諸々の問題点は、
すでにあの8月1日以降、常に論じられ批判され予見されてきたものだ」
という部分にある.A氏の指摘した点に関して,事実関係を確認せずに引用した
責任は私にある.この部分で不快に思われた読者がいれば,陳謝したい.
ただし,引用を前半部分だけで止めることは,意図的に一部の賛同意見だけを持
ち出した印象を与えるので,引用はそのままにしてある.
ただ,ここでも内容的には非常にデリケートな問題を含んでいる.
「新大学開学準備に協力する」とは,いったいどのような行動なのか?
「その協力態勢を率先して推進する」とは,いったいどのような行動なのか?
元の発言者に問うてみなければならないだろう.
議論の分かれるところは,たとえば:
・「首都大学東京」の成立に関わる仕事を,
2005年4月1日以前に少しでもやったら,「協力した」と見なすのか?
・そのような仕事の中で「指導的な地位」にいた人は,
「率先して推進した」といえないのか?
というような部分である.私の推測では,非就任者の中にも,
「完璧主義者」と「寛容派」がいる.私は,どちらかといえば,
「完璧主義者」に近い立場をとっている.「首都大学東京」成立前の一年間,
一切「首都大学東京」に関した仕事をしなかったか,と問われれば,
どこかで私も何かしらやってしまったのではないかと危惧する.
その意味では,寛容にならざるをえない.ただ,一点だけは,非就任者にとっ
て,寛容になれないものがある.それは,「就任承諾書を提出したこと」だ.
就任承諾書を皆で出さなかったら,最後の最後で「首都大学東京」の開学を阻止
できたのに,という無念の思いがこもっているからだ.
ただ,今の時点で,過去の責任問題をつっつき回しても意味はない. 大事なのは,今後,「首都大学東京」をどうしていったらよいか,という点につ きる.今回の考察にあるように,法人の定款,大学の学則,中期目標と中期 計画すべてに大胆な修正を加えるしか大学を良くする道はない, というのが私の基本的姿勢である.