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マイクロチップとユビキタス・コンピューティング:本当にこれでいいの? [2006/2/25]

1.  イントロ:ユビキタスとは?

コンピュータ技術との関連で一躍有名になった「ユビキタス」"ubiquitous" という言葉.
本来の意味は,「同時に複数の場所に存在すること」. 日本語では,「遍在する」とか訳されている. 物質の世界では,厳密に言えば,本来あってはならない事態だ.つまり,「1つの物(=token) が, 同時に複数の場所に存在する」というのは,ありえない.

唯一の例外は,これまで「唯一神」(God)だった. 「遍在する神」"ubiquitous God" とキリスト教では言われてきたが,その意味するところは, 「神はどこにでもいる」"omnipresent" ということだ.唯一神のはずなのに,あそこにもいれば,ここにもいる,同時多発的(?)に存在してしまう,というのだ.

英語の定義を見てみると,文体的な注意書きには,「形式ばった」(formal) と並んで,「ユーモラスに」(humorous)となっている ことからも察しがつくように,<普通はありえないから冗談として使われる> 場合がある(「どこにでもある」というところから,「あまりにもありふれた」の意味で 用いられる).

ubiquitous adj. [usually before noun] (formal or humorous) seeming to be everywhere or in several places at the same time; very common: the ubiquitous bycycles of univeristy towns <>the ubiquitous movie star, Tom Hanks

Wehmeier, Sally (Ed.) 2000. Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English. Sixth edition. Oxford: Oxford University Press, P.1404.

しかし,コンピュータ技術は, 第2の「ユビキタス」な存在を作り出してしまった.それは,「情報」である. 唯一であるはずの特定の「情報」が,世界に遍在することを実現しているのだ. しかも,世に言う「ユビキタス・コンピューティング」は, マイクロチップの出現とともに加速しつつある. 今回は,この「遍在情報社会」*注1 (Ubiquitous Information Society)の問題点を考えてみたい.

*注1  ここで仮に作った造語.

2.  ユビキタス・コンピューティング

話題の「ユビキタス・コンピューティング」(ubiquitous computing) だが,米ゼロックス社のパロアルト研究所が提唱して有名になった.神戸大学塚 本昌彦教授のインタビューがR25(2006.2.9, No.80, P.13) 掲載されていたが,そこでの説明を一部引用すると:

「...これ(=コンピュータ)が今後は,豆粒大,ごま粒大になっていきます. そして身の回りのいろいろなものに埋め込まれて,新しい使い方が始まるんです. いたるところにコンピュータネットワークが構築され,いつでもどこでもアクセ スできるということです」
<Q:豆粒大,ごま粒大のコンピュータはどんな動きをするんですか…?>
「情報を発信するんです.例えば家の中で,本棚の本のすべてに入っていれば, 見つけたい本はすぐ見つかりますね.また,街を歩いていれば, いろいろなコンピュータが自分に情報を投げかけてくれる.それこそ, この情報を見た人は今日のランチ割引,なんて情報でもいい. 自分がいつでもどこでもネットワークに入っていける」

ということで,超小型化されたコンピュータがあらゆるものに埋め込まれる世界, それが「ユビキタス・コンピューティング」の近未来の姿だという. しかし,2006年現在,すでに超小型化されたコンピュータは, かなり多くの機器に組み込まれている.車にも,電気釜にも,洗濯機にも,DVD プレーヤにも,携帯電話など,もう完全にコンピュータ端末そのものになっている. では,どこが「ユビキタス・コンピューティング」で決定的に違うかというと, あらゆるものに,マイクロチップが埋め込まれ,情報を発信する という部分だ.この対象となるのは,機械である必要はない.大根でもチューリップでも, 家畜でも,ペットでも,人間でもよい.

ペットへのマイクロチップ埋め込みに関しては,1989年ごろにイギリスで使用が始まったようだ. 2005年6月9日,MSN-MainichiINTERACTIVEによれば, マイクロチップは,「迷子の際の身元確認などに有効として、現在では欧米やカ ナダ、オーストラリアなどで450万匹以上に使われているという。  日本では阪神大震災(95年)や北海道の有珠山噴火(2000年) など災害のたびに、飼い主と離れたペットの保護が課題となり、 マイクロチップの活用が検討されてきた。 AIPO(動物ID普及推進協議会)の普及事業は02年に始まり、 装着した動物は3月現在で計6350匹、 主な実施地域も東京都、静岡県、福岡県にとどまる。」

そして,ついに人間にも埋め込まれてしまった. 2006年2月15日,朝日新聞の「体内チップ,鍵の代わり: 米の警備会社が従業員に埋め込み 米粒大,患者識別にも」という記事がその様 子を伝えている(以下,部分引用).

米オハイオ州にあるセキュリティ会社シティーウオッチャー・ドットコムが, 会社の特定の部屋に入る従業員2人の体内に米粒大の ID(認証)チップを埋め込んだ. 専用装置がチップの発するラジオ周波数*注2 を読み取り,部屋の鍵が解除される. チップをつくっているフロリダ州のベリチップによると, 意識不明で救急搬入される可能性のある患者の識別対策として, 近く病院にも導入される.
 2人とともにチップを埋め込んだショーン・ダークス社長によると, 前腕部の皮下に注射のように挿入され,*注3 外からは見えない. 同社は顧客の監視カメラのビデオを保存しており, 部屋に入室する必要のある従業員2人が埋め込みに同意した.

*注2 「ラジオ周波数」 というのは,"radiowave"の和訳か? だとしたら,「電波」と訳すべきところ.
*注3  「皮下に注射のように挿入され」というのは, 「インジェクター(注射器)で皮膚の下に挿入する」という意味だろう. 「注射のように挿入される」というのは,日本語としてかなり変.

本人同意の元に行なわれたとはいえ,人体実験であることに変わりはない. マイクロチップを覆う素材が人体へ与える影響は, すでにかなり信頼性のあるものが用いられているようだが, それとても実際に人体実験を重ねないと,正確なことは分からないだろう.

そして,この技術を患者の識別に使うことを考えているようだ. 「意識不明で救急搬入される可能性のある患者を識別する」ためには, その患者にマイクロチップをあらかじめ埋め込んでおく必要がある. そんな場合に,マイクロチップに「患者の名前,血液型,病歴」 といった情報を入れておくことが想定されいてる.確かに, 患者の特定は非常に迅速に行なえるし,便利だろう.

そのマイクロチップの発する電波を解読する装置(リーダー)について触れられていないが, 情報の読み取りは,RFID(電波方式認識)という技術を使うのではないかと思われる. マイクロチップ自体が常に電波を発信するというよりは, リーダーを近づけるとマイクロチップが微弱な電波を発信し, アンテナ役のコイル部分に磁界が発生して電流が生じ, チップの情報が読み出される. これは,JR東日本の「スイカ・カード」(Suica)と同じ原理だ。

さて,医療現場で,患者にこのようなマイクロチップが埋め込まれ, 個人情報がすばやく取り出せるのは,実に便利だが, 逆にリーダーがあれば個人情報がいつでも引き出せる,ということに他ならない. どこでも誰でもいろいろな物が発信する情報にアクセスできる, そんな社会にあって,人間にもマイクロチップが埋め込まれ, その情報が簡単に他人に読み出せてしまったら,プライバシーは消滅してしまう. 人間スイカカードを思い浮かべてみればわかるだろう.ある装置に手をかざせば, 「ピッ」と,その人の個人情報を読み込んでしまう.そんな装置を,何も音がし ないようにし,誰もが触るようなところに仕掛けておけば,いろいろな人の情報 が集まってしまうだろう. (ATMに仕掛けられたヴィデオカメラどころの騒ぎではない).

もちろん,電波の周波数帯を変えるとか,暗号化する,といった対策はとられるだろうが, 現在の無線LANのケースを思い浮かべても分かるように, きちんとした暗号化対策をとるのがめんどうで, 野放しに個人情報が漏れる状況も発生すると考えられる. そして,一旦もれた情報は,どこかのコンピュータに蓄積され,再三再四,利用される.これは, われわれが日常的にスパムメールを受け取るようになってしまったメールアドレスと同じ運命にある.

上の朝日新聞の記事は,終わりの部分も極めて変である.その部分を引用しよう.

チップに入力されるのは16けたのコードで, 医師のパスワードと合わせて医療記録にアクセスする.
 今後,追跡装置との一体化は可能とみられ,使用方法によっては問題が生じる ことも考えられる.

16桁のコードというのは,16桁の10進数の数字なのか,それとも16ビットなのか? 医師のパスワードと合わせることで,医療記録にアクセスするというのは, 医師がコンピュータにアクセスし, 患者の16桁の数字を入力することと同義なのだろうか? 追跡装置と呼んでいるのは,おそらくリーダー装置のことだろうが, <マイクロチップをリーダー装置と一体化する> ことの意味は何なのだろう? そして,「使用方法によっては問題が生じる」 とは何を言わんとしているのだろうか? まったく意味不明の朝日新聞の記事であった.

3.  スナイパーがRFIDタグを発射?

実は,2004年4月28日のIT-Mediaのニュースはもっとショッキングだった. スナイパーがRFIDタグを発射?というタイトルで, 「デンマーク企業のEmpireNorthが、標的に対し、それと悟られずにRFIDを埋め 込む改造銃なるもののデモを行っている。同社のRFID発射体は、 標的に事実上、痛みを全く感じさせず、『数分の1秒、 蚊に刺されたような感触がある程度』だという。」

その後,この話が大きく取りあげられた記憶はないのだが, この技術,ちょっと疑わしいところもあるが, 実現すると,本人が知らないうちに,他人にマイクロチップを打ち込めることになる. 警察が犯人に対して使えば,極めて有効な追跡手段となるだろうが, 社長が社員に対して使ったり,教員が学生に対して使ったり, はたまた学生が教員に対して使ったりしたら,どうなるのだろうか? しまいには,知らないうちに, 自分の身体にいくつものマイクロチップが埋め込まれている, なんて世の中になるかもしれない.そんな事態が可能になるような, 恐ろしい技術が開発されているのだ.

冷静に考えてみれば,これは,現在でも極めて普通になりつつある スパイウエアと同じである.日本では,ほとんど野放しであるが, 法律できちんと罰するべき悪質な行為だ.今度は, その対象をコンピュータから人間に変えただけだ. 外出先から返ってくると,からだ中に知らないうちに打ち込まれた マイクロチップを除去しなければならない世界がやって来るかもしれない.

GPS マイクロチップと高精度標的追跡システムを組み合わせれば, マイクロチップを埋め込んだ物や人など, なんでも世界規模で追跡できることになる.神戸大の塚本昌彦教授曰く, 「どこかでなくしてしまったサイフをインターネットで探す」こともできるだろうが, それは,裏を返せば, あらゆるモノにマイクロチップを埋め込んで追跡できる世界であり, プライバシーが徹底的に無視される社会なのだ.

ますます巨大化するコンピュータネットワークに組み込まれて, 人間を含むあらゆるモノにマイクロチップが埋め込まれる社会, 技術者が夢見る無限の可能性の背後には, 人間が精神的に耐えられないような,恐るべき「遍在情報社会」が横たわっているのではないか?

今,技術者が技術の夢を実現させるのを,黙って許すのではなく, あらかじめ,その社会的影響を議論しなければならない時代が来ているのではないか. 特定の技術が実現してから,その影響を議論するのでは遅いのだ.

4.  最後に

このような近未来に向けて突き進んでいる現代IT技術を, あなたは黙って受け入れますか?

あなたは,自分で選べれば,マイクロチップ化したコンピュータを, 自分の身体に埋め込みたいと思いますか?

マイクロチップを利用した,これまでになかったような犯罪も世界規模で起こる のは,ほぼ確実だし,それに巻き込まれる人々の数も, 予想をはるかに越えたものになるだろう.

「本当にこの技術が必要なの?」と,問うことが,今こそ必要であると思う. 「この技術は,社会・文化にどんな影響を与えるか」 を先に議論しなければならない時代である,ということだ. 技術が実現しそうな近未来を,先取りして議論しなかったら, 後戻りできない深みに落ちてしまう気がする.
 技術オンチだから,とか,私は関係ない,とか言っている人たちは, 「遍在情報社会」の中で完全に迷子になってしまうだろう.


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