2005年4月14日<NEWS>
4月2日に行われた<〜「都民の会」再発足に向けて〜集会&総会>について
「都立の大学を考える都民の会」 は,4月13日に 集会及び総会での議論の様子 「都立の大学を考える都民の会」申し合わせ (PDF) 「都立の大学を考える都民の会」2005年度活動方針 (PDF) を発表した。
いくつかのポイントのまとめ:
(「都民の会」の目的を引用)
1.石原都政による都立の大学大学の解体である,「都立四大学改革」とその具体化に 反対する。また大学運営に対する行政の不当な介入に反対し,大学の民主主義と自 主性・自律性を実現することを求める 2.都立の大学に,その本来の使命である真理の探究と公立大学としての存在意義にふ さわしい社会的要請に応える研究・教育の自由と充実を統一して追求することを求 め,もって都民と国民,および世界の進歩と幸福に貢献する研究と教育を継承・発 展することを求める。また,都民にひらかれた大学改革を行うことを求める 3.石原都政の,大学解体を始めとする教育・文化の破壊,医療・福祉の公的保障の切 り下げなどに反対する広範な都民・団体と連携し,都民本位の都政を築き,東京に 民主主義を実現することをめざす。同時に,問題を共有する国公私立の大学等と連 携する
コメント(1):[2005/04/14]
4月2日の集会に私は参加できなかったので,あくまでも参加した人からの伝聞に基づきコメントする。上に挙げた目的に,私は賛成する。ただし,質疑応答の際には,2つの違った立場が鮮明になったと聞いている。
A.「首大廃校・都立大学の復活」路線
B.「首大をもりたてよう。闘争の成果で大分よくなってきたので,さらに活動を強め,少しでもよい大学にしよう」路線
当然予想された2つの路線なのだが,当日の講演者であった南雲氏は,B路線だったようだ。それに対して,会場からはA路線の立場の人からのコメントがあり,かなり騒然となったと聞いている。
A路線とB路線のどちらを指示するか,と問われれば,私は当然A路線を支持する。「闘いに敗れたように見えるが,実は,そうでもない」,「教授会の自治も復活した」という現状認識は間違っていると思っている。「首都大学東京」では,一部で「学系会議」が開かれ,従来のように協議して事を決めるようになったと聞くが,それは学則外の教員組織が「実質的問題を自主的に協議」しているのにすぎない。最終決定は,選挙によって選出されていない委員によって構成された教育研究審議会が審議し,学長,理事長によってなされる。下からの意見が,上の意見を常に変えることができるとは思えない。
以前に「人事委員会」に関してコメントしたことがあるが,「首都大学東京」のようなトップダウン構造の中に於いて,従来と同じように下の委員会で具体的な人選をして上へ持っていっても,そこで蹴られる可能性が常にある。これは,大学の研究と教育にゆゆしき影響を与える。あの分野の教員の補充をしたいと教育サイドで考えても,上で NO と言われたらできない。あの分野の教員の補充をしたいと研究サイドで考えても,上で NO と言われたらできない。しかし,上で「この分野の研究をしろ」(例えば「ゲーム脳」研究)と決定したら,その人事は進行する。これが,4月1日に発足した「首都大学東京」の実態となるであろう。
さらに、人事に関して言えば、「首都大学東京」に教員として着任した人達の中には、これまでの都立大ではありえなかったような研究業績がほとんどない人達も多く含まれているらしい。彼らには、社会で働いた実績はあっても、研究や教育の実績はないのだ。このような新任教員が増えれば、大学は質的に変貌せざるをえないだろう。そのような教員を積極的に受け入れる体制が、今の「首大」なのだ。
私は,「都民の会」の目的の1番目にあるように,「大学運営に対する行政の不当な介入に反対し,大学の民主主義と自主性・自律性を実現することを求める」ためには,設立されたばかりの「首大」を大改革する必要があると考える。そのためには,「首大」の設置と同じように,いったん廃止してから「再設置」するのが近道である。つまり,小手先だけの微々たる改革では,「首都大学東京」の組織を民主化できないと思っている。もし、「都民の会」が今後、B路線を明確に打ち出すことになれば、退会させて頂くことになるだろう。