http://www.tmu.ac.jp/whatsnew/050406_tiji.html よりの引用
(赤の部分は,新聞各社によって引用された部分)
皆さん、入学おめでとうございます。
これから日本における教育課程のターミナルであり、また、最高の到達点である大学で、人生を送るわけでありますけど、大学は何も勉強の場所だけではない。そこでいろんな知己を得る、友人を得る、人生の友達を得るということも大きな大きな目的の一つだと私は思います。この大学での勉強、修学を通じて、卒業し、社会人になる、一人前の大人になるということでありますが、一人前の人間として、社会人として世の中に出て行く限り、その時点でやはり、社会が歓迎し、渇望して迎える価値のある人材となって出て行ってもらいたい。大学を卒業してすぐそんな大それた仕事をできるわけもありませんね。じゃ、いったい、社会が刮目し期待する人間、人材とは何か、朝日(1)私たちのこれからの将来の国家社会にとって、本当に価値のある意味のある人間は何かというと、それはその時点での業績云々ではなくてね、やっぱり、非常に強い個性を持った人間。朝日(1)強い個性というと、いろんな表現があるでしょうけど、言い換えれば、その人しかできない発想力、ものの考え方ができる、そういう人間にですね。
人間の個性というものは何によって形作られるかというと、これはですね、それぞれの人間が持っている、いろんな機会に培われて育っていく感性です。感性のない人間には豊かな情念、情操っていうのが出てくるわけがないんです。
西沢先生は、半導体で、とっくの昔にノーベル賞をもらわなくてはいけない方だけども、その実力っていうのは、ノーベル賞なんかとは関係なしに知る人は知っているわけです。また、そういう見識、発想力、実行力というものは、すでに、東北大学を見事に立て直されたし、新しい岩手県立の大学を、わずか数年間の間に立派なものにされた。それを私はかねがね刮目しておりまして、直ちに掛け合いまして、西沢先生に、この首都大学に来ていただいたんです。しかし、いかに立派な学長をいただこうとね、また、今度、公立大学法人で、学校も経営ということを考えなくちゃいけないわけですから、これも私の大学時代、寮時代に知り合った、人生の友人である高橋宏君。かつては日本の船舶界を会社を越えて代表する、国際的なネゴシエーターでありまして、非常にタフな経営者であったんですが、彼にも頼んで、この西沢先生をサポートするこの学校の経営の責任者になってもらいました。いずれにしろ、それは他用的な条件であって、大事なことは皆さんが一人一人、自分の感性を磨く、そしてすばらしい深い情念を備える人間になってほしい。
家内の親戚筋の小柴さん(2002年ノーベル物理学賞受賞者)が、私と話していて「基礎科学といったら、本当に科学の科学の底辺の、一番野暮ったい、まさに基礎の科学分野なんだけれども、それでもしかしそこで、要るのは何かというと、人間の感性、ひらめきだ」と。ひらめきがない人間は、何をやっても駄目だと、それは芸術家はもちろんでありますけれども、芸術と対極的にある理科や技術の部門でもですね、感性って言うのは必要になってくる。じゃ、一体感性は何で養われるか、言い換えれば物事の発想といいましょうか、着想、思いつきというのは何で養われてくるかというと、これは趣味なんだ趣味。皆さんやっぱり趣味を持ってください趣味を。「私は勉強が趣味」ってそんなのは駄目なんだ。間口がだんだん狭くなっちゃう。趣味って言ったら、俳句でもいいんだ。碁でも将棋でもなんでもいい、ハイキングでもいい。そうするとね、学業から全部自分を解放して、自分が好きなことをやっているときに、ちょっと何か工夫してみよう、もうちょっと早く歩きたいなとかね、そういう頭をちょっとひねって考えるそういう発想ができてくるんです。それが実は、社会のダイナミズムにつながっていく。例えば、スケートボードってあるだろう? あれ、昔のローラースケートを、一枚の板を上に乗っけて、スケートボードする。あとウィンドサーフィン。昔からありましたよ、波乗りは。それにヨットの帆をつけてね、ウインドサーフィンってのを始めた。これはオリンピック種目にもなった。こういったものはね、物と物をちょっとくっつけるようで、実はコロンブス的な発想でね、やった人間が勝ちなんです。そういう未曾有の、東京(1)大げさに言うと未曾有ですけどね、人の考えないことをちょっと思いつくということは、個性の発する、それこそが本当の情念の収斂だと思います。そういうことのできる人間になっていただきたい。東京(1)
あんまり大学の先生を尊敬することもない。私も大学4年いましたがね、ま、あんまりろくな先生はいなかった。2、3年前のノート読んでたりしてね。「先生、あんた、去年のノート読んでるじゃないか、駄目だよそんなこと」と、言っちゃったらいいんです、生徒の方が。そんな授業、出なけりゃいい。上と下との関係じゃないと思いますよ。諸君が今度入った大学っていうのは、まさに今日から始まる読売(1)んでね、先生たちも根性すえて変えてかからんと、この大学は新しい大学に育ってこない。それをやるのは、教授陣の責任でもあるし、同時に諸君の責任でもあり、権利でもある。
私は、現代の若者はね、非常に透明な閉塞感の中にしかいないと思ってる。だから、この頃の若い人は怖くないんだよ。私は芥川賞の選考委員やってて他にもいくつかしてますけど、いつでもまじめに出て読んでますが、「すごいやつが出てきたなあ」っていう、そういう怖さがない。みんな画一化されて、変に小賢しくて。未曾有のものを、自分が、人にできないことを、作品の中でしようと思う、それが芸術だと思うんだ、音楽でも絵でも。
皆さんならではの個性、情念というものの発露、新しい試み、新しい作品。君たち一人一人しかできない仕事をやらなきゃ意味ないんです。ま、学生のときにそれをやるのは難しいよ。ほんの限られた天才が、ガロア(エヴァリスト・ガロア:18世紀フランス数学者)とかいましたよ。しかしね、やっぱり、必要な教養って言うのは必要なんで、それをここで習得しながら、感性を磨いてね、読売(3)未曾有の存在の人間として、世の中に出て行っていただきたいし、そのためのあらゆる手立てを、大学当局とも協力して、していくつもりです。読売(3)
こんな大学はないぞ! 世界には。朝日(2)東京にしかない。たった一つしかない。それがこの大学なんだ。そこで君らね、存分に、日経(1)ことによったら先生馬鹿にしたってかまわない、毎日(1)何やってもいい。日経(1)堂々とした喧嘩もやっていい。日経(2)毎日(2)殴り合いの喧嘩じゃないよ。議論してね、日経(2)それでやっぱ切磋琢磨して、自分の人生築いていってください。毎日(4)しかし、その間にはいろんな摩擦がある。高校もそうだったけど、大学に入ればそれぞれかなりの奴が集まってきている。議論もあるでしょう。その時に堂々と議論したり喧嘩もしたらいい。毎日(3)そうすることで、他者とまみえることでね、挫折もあるかもしれないけど、そのおかげで自分を高揚することができる。大体その、他者と自分の関わり、その摩擦がね、近代現代の文学に共通したドラマ、劇であったんだ。これは今でも続いている。人間は他者なしに、他者との関わりなしに、生きていけないわけだ。その他者とのですね、高校時代よりももっともっと複雑な形で、複合的で重層的な、摩擦ってものを諸君は大学で体験していくでしょう。そして、それをですね、絶好の肥料として、大きな大きな人間に育っていって、日経(3)そして、教授陣がやるんじゃない、学生諸君がですね、首都大学東京をすばらしい大学に育てていただきたい読売(2)朝日(3)と、熱願いたします。
読売
新大学の“生みの親”でもある石原慎太郎知事は「諸君の入った大学は今日から始まる。学生諸君で素晴らしい大学にしてほしい。感性をみがくための協力は惜しまない」と激励した。
朝日
入学式で石原慎太郎都知事は「社会が本当に期待するのは強い個性をもった人間だ。こんな大学、世界中にない。学生諸君がすばらしい大学に育ててほしい」と述べた。
日経
「東京には博物館など世界にない集積があり、学生には便宜を図る。存分に何をやってもいい。けんかや議論をやったらいい。大きな人間に育ってほしい」と激励した。
毎日
石原慎太郎知事は「先生をばかにしても、けんかしてもいい。堂々と議論して、あなた方の責任で人生を築いてください」と激励した。
東京
石原慎太郎都知事は「未曽有のことを思いつく発想力を持った人間になって世の中に出てほしい」と祝辞を述べた。
単語の出現回数(単語は意図的に選択したもの)
大学:20回
人間:16回
先生:8回
感性:6回
発想:5回
個性:5回
新しい:4回
情念:4回
首都大学:2回
東京:2回
学生:2回
ひらめき:2回
教授:2回
教養:1回
コメント
1. 「こんな大学はないぞ! 世界には。 東京にしかない。それがこの大学なんだ。」 この一言を石原都知事は言いたかったのだろう。
そしてその後に,「俺が作ったんだー!」と叫びたかったのだろうと推察する。世界には,それぞれ個性的でユニーク(=たった1つしかない)大学が溢れているので,別にたいしたことを言っているわけではないのだが,本人には分かっていない様子。みっともないですな。
2. あいかわらず,大学教員に対するコンプレックスに溢れている。
(1) 「あんまり大学の先生を尊敬することもない。私も大学4年いましたがね、ま、あんまりろくな先生はいなかった。2、3年前のノート読んでたりしてね。」
←
あいかわらずの一橋大学時代の思い出。一橋大学と東京大学の話がお気に入りなんです。自分の経験した範囲のことが,すべての大学に当てはまると考えているのは,知的想像力の欠如。
(2) 「『先生、あんた、去年のノート読んでるじゃないか、駄目だよそんなこと』と、言っちゃったらいいんです、生徒の方が。そんな授業、出なけりゃいい。上と下との関係じゃないと思いますよ。」
←これもまた,石原都知事の大好きな話。どれくらい「去年のノートを読んでいる大学教員」がいると考えているのか?<一つの固定観念に憑かれていて抜け出せない人間>を「発想が貧しい人」と言います。
(3) 「先生たちも根性すえて変えてかからんと、この大学は新しい大学に育ってこない。それをやるのは、教授陣の責任でもあるし、同時に諸君の責任でもあり、権利でもある。 」
←
<根性すえて変えてかからんと>と先生(=大学教員)を脅かしている部分。「うかうかしていたらどんどんクビにするからなー!」と言いたいのだろう(「クビダイ!クビダイ!クビダイ!」と3回連呼)。
(4) 「そこで君らね、存分に、ことによったら先生馬鹿にしたってかまわない、何やってもいい。」
←
「ことによったら先生馬鹿にしたってかまわない」における<ことによったら>というのは,<場合によっては>の意味なのだろうが,当人は,ごく親しい一部の大学教授(例えば,西澤潤一氏)を除いて大学教授を馬鹿にするのがお好きなようなので,自然にこのような言葉が出てくる。そうした背景を考えると<ことによったら>の意味は,<どんな場合でも>という解釈が妥当なのかもしれない。ちなみに,ダメな大学教員を馬鹿にするというのは,学生の間で昔から行われていますね。なにも知事に言われなくても,みんなやってます。
(5) 「そして、教授陣がやるんじゃない、学生諸君がですね、首都大学東京をすばらしい大学に育てていただきたいと、熱願いたします。」
←最後に出てきました。(3)では,「教授陣の責任」と「諸君(=首大新入生)の責任」と言っていましたが,ここでは,<首都大学東京をすばらしい大学に育てるのは教員ではなく学生だ>と宣言しています。この方の頭の中には,<大学教員なんてどうでもよい>という観念がこびりついているのでしょう。
3. この方の「情念」
情念---心に深くまつわり、理性では払いきれない理念。悲喜・愛憎・欲望などの激しい感情。「ーがわく」(「明鏡国語辞典」P.792)
<芸術(?)を賛美し,感性を重視し,情念に訴える>背景には,「理性」に対する懐疑心,自分自身の「感性」に対する異様なほどの自信と執着が見て取れる。しかし,「首都大学東京」にせよ「都市教養学部」にせよ,その感性は多いに疑わしい。「情念」といわれると,「理念というよりは,押さえがたい感情」を連想してしまうのだが,この方は「情操」と並べて論じているので,理解の仕方が違うのではないか。
4. 新聞記事における引用
新聞報道と実際のスピーチ(?)を比較してみると,さまざまなことに気づく。(「首都大学東京」のサイトで公表された原稿が,本当に実際のスピーチと100%同じかどうかは分からない。日経の「東京には博物館など世界にない集積があり」の部分は,見当たらないが,その理由は定かではない。)
(1) 引用と言っても,実際には順序が違っていたり,表現が切り詰められている。
(2) スペース的な節約のため,前後の文脈から切り放され,本来の意図が伝わらないことがある。
(3) 逆に,文脈から切り放すことで,意図的に特定の発言だけを目立たせたり,問題発言を隠したり,歪んだ解釈を全面に出したりすることができる。
(それぞれのケースを証明することに関心のある方は,チャレンジして下さい。)