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top[2005/04/20]レッドパージ:「世間の目」とは違った現実

2005年4月20日<memory>

レッドパージ:「世間の目」とは違った現実

「アエラ」No.13(3月7日号)に<「公立合併大学」全10大学の成否> (P.29-31)という記事が掲載されたが,その時,以下のような説明がつけられた (P.30)。

 ”左寄り”教員リストラ

  ある大学教員も,こう話す。
 「そもそも石原知事は,人文学部をはじめ『左寄り』の教員をリストラしたかったのだ
 と思います。しかし,新大学には『左寄り』の教員は相当数が残ります。実は『レッド
 パージ』としても不発でした」

コメント(1):[2005/04/20]

 2005年2月8日,アエラに記事を書く予定だとライターの石渡嶺司氏から連絡 が入り,取材を受けることになった。私は,首大非就任者の会の会員として, 他の2名(「開かれた大学改革を求める会」の教員)と共に2時間に及ぶ取材に 応じた。しかし,その結果,書かれた原稿には予想もしなかった「レッドパージ」 の文字が踊っていた。上で引用したのは,最終稿であるが,その前の初稿では 「レッドパージ」に関してもっと多くの紙面がさかれていたのだ。

 そもそも「レッドパージ」とは何か,知らない人のために簡単に説明する。 (私も,その言葉を聞いた時に内容は想像できたものの,最初にパージ(=purge)という 言葉から大型計算機のコマンドを連想してしまった(恥!)。しばし,文献を調べ て歴史を再認識することとなった。) 詳しくは Hans Martin Krämer氏(Ruhr大学東アジア研究所)による論考 (Just Who Reversed the Course? The Red Purge in Higher Education during the Occupation of Japan)を参照。(http://ssjj.oupjournals.org/cgi/content/short/jyi011v1)

1948年から1950年にかけて日本の大学の教員の中から共産主義者と思われる者を<抹消>しようとする政策が行われた。 これを「レッドパージ」と呼ぶ。この政策が,本当にアメリカの占領政策の一端として 行われたものなのか,それとも日本の当時の政策担当者の先導によるものなのか, 現実はどのようなものだったのか,に関してはさまざまな文献があり議論が分か れる。

さて,アエラの記事でなぜそもそも枝葉末節的な「レッドパージ」が取りあげら れたのか?
答えは簡単である。
 (A) 石原慎太郎東京都知事は,右寄りの超保守派である。
 (B) その保守派に反対するのは,「左寄りのアカ」に違いない。
そしてこれが「第三者の視点」(=「世間の目」)だ
と言うのだ。 実際,ライターの石渡氏もメールの中で次のように説明している。

  まず,先生にはご不快かもしれませんが,第三者の視点から見ますと,都民・国民の
 相当数は今回の首都大統合について次のように理解しています。
 
  「石原知事は保守派の政治家。都立大学の左よりの教員が疎ましく,統合を理由にリ
 ストラをした,いわばレッドパージである」
  「統合に反対する教員は,学内でのポストはじめ既得権益を守りたいからにすぎない。
 石原知事は無駄な税金投入を避けるために行政改革を進めている」

  私がそうだ,というわけではないですが,こうした見方が多数ではないでしょうか?
 それに後者の見方が多数派だからこそ,統合反対の声が都民に広がらなかったものと思
 います。

実際に,kubidai.com への意見の中にも「石原都知事に加担することは,右翼に 加担することだ」といった本論からはずれた意見も寄せられたことがある。 このような「世間の目」が存在するとしたら,極めて残念なことだと言わざるを えない。

今回の都立4大学廃校,「首都大学東京」設置にあたる中心的問題は「レッドパージ」ではなかった。 根本的問題は,
 (C) 東京都知事と一部の関係者が考えた構想を,大多数の大学教員の意見を聴かずに強行した。
 (D) 東京都の行政のためになる研究を中心に大学を変質させた。
ことである。

(C)は大筋の構想がまとまったところで(およそ2004年4月頃), 東京都側(大学管理本部)は一転して教員の言うことを聞き始めたが, それは個々の具体的な大学の仕事内容を把握できていなかったからだ。 この後期部分を指して,「大学管理本部は昔とは違い,教員の言うことを聞き始めた」 と喜んだ者もいたが,それは幻想にすぎない。 動かしがたい枠を作った上で,こまかな具体的作業を教員に任せただけなのだ。 また,この時期を指して,「東京都側は,教員と話し合って構想を煮詰めている」 と評するのも筋違いである。

(D)は,「基礎研究・教育軽視」(=「実学重視」),「予算大幅カット」(=任期制・ 年俸制導入,=運営交付金を毎年2.5%ずつ6年間削減,学生数を増やす),「研究軽視」 (=大学院構想軽視,=実践的教育重視)という形で現れた。これらは,すべて 大学の研究教育の基礎体力を奪うものだった。 さらに
(E)  地方独立行政法人となり,独立するかに見える大学だが, 設置者権限を持つ知事から理事長への支配が可能なシステムであるため, 大学の指導権を最終的に東京都に奪われる結果となった。
従って,「首都大学東京」構想に反対することは,(C), (D), (E)に関し ての反対であり,都知事が右翼だろうと左翼であろうと関係なかったのだ。

それにもかかわらず,「世間の目」を意識し,問題をイデオロギーの対立にすり 替えてしまう人達がいた。「世間の目」が興味本位の刺激を求める無知な存在な ら,それが違うことを堂々と主張すべきだ。それこそ本来のマスコミのあるべき姿 だと思うのだが,この国のマスコミはそうなっていない。 低きに流れる国民の興味を後追いして,「もっと面白いものがあるよ」, 「実態はもっとすごいんだよ」とふれて回る。これではいけない。さらに悪いこ とに,政治家やお役人の発表を,そのままマスメディアに垂れ流すことだ。 本当のことを言っているのか否か,裏を取らずして報道するのは罪である。 迅速な報道を追いかけるあまり,「大本営発表」ばかりになってしまっては, 何が本当なのか,まったくわからない状況になってしまう。

コメント(2):[2005/04/20]

私は,社会主義者でも共産主義者でもないことをまず宣言しておく。 実際に,ヨーロッパの旧社会主義国が社会主義をやっていた時に,たまたま何カ 国か訪れる機会があり,社会主義が理想とは程遠く,まったく機能せずに腐りきっ ているのを見てきた。

「首大構想」がいかに「大学の自治」や「学問の自由」を破壊するものなのかを 訴えようと,都議会文教委員会の委員(=都議会議員)のところを回った教員や 学生が数多くいる。しかし,自民党の委員は,ほとんど面会すらしてくれなかっ た(一回だけあって話をした,という教員はいるが)。なぜ彼らは,都立大教員 や学生に会ってくれなかったのか? 理由は簡単である。
自民党は与党であり,石原知事の案には賛成するのが原則だからだ。
彼らにとって,「首大構想」などは関心がなかった。だから,大学のことなど, 勉強すらしてくれなかった。

そんな中で,唯一希望の星だったのは,曽根はじめ議員(共産党)であった。 彼は,事細かに事実を収集し,教員や学生の意見を聴き,実際に文教委員会では, みごとな質疑応答をしてくれた。私を含めた多くの教員や学生達は, 感謝の念を抱きながら,彼の質問に一喜一憂した時期があった。 ( 曽根議員の質疑の一例) そう,曽根議員が共産党議員であることは私たちにとって重要ではなかった。 関心があったのは, 彼が文教委員としての熱心に勉強してくれ, 都立大の教員や学生の声の代弁をしてくれたというその事実と, 彼の人間的誠実さにあった。 そして,面会して話すら聴いてくれないのが自民党議員だった。

2004年12月。法人の定款が文教委員会で議論される段になって, 曽根はじめ議員が文教委員からはずれていることが判明した。同時期に, 花輪ともふみ議員(民主党)が,文教委員に加わったのだが, 彼は都立大学B類の卒業生であることが判明した。 教員も学生もそれなりの期待をし,委員会目前に面会に行き,話をしてきた教員や学生もいる。 12月13日の文教委員会で,花輪ともふみ 議員はこのような質問をしたが,なんと最終的には,「首都大学東京」の定款に賛成する側に回った。 なぜか? それは,民主党が「首都大学東京」に賛成という方針を出していたからである。花輪議員は,党の方針には逆らえなかった。 花輪議員の質問は,突っ込みが足りず,過去の都立大学礼讃で終わっている。 正直に言って,落胆したのは私だけではなかった。

後になって,平成16年第4回定例会(12月16日)で 小松恭子議員(共産党)の発言があったこと を知った。この内容は,明晰で全面的に賛成できる内容だと思う。繰り返して言 うが,私は共産主義には興味がないし,共産党員でもない。しかし,問題の核心 を捉えているのは,小松恭子議員であり,これは事実である。 (ちなみに,共産党の新聞である「赤旗」も,繰り返し「首大構想」の 問題点を説明していたが,私は敢えて,「やさしいFAQ」では取りあげなかった。 一般人の誤解を招きたくなかったからだ。)

「世界」という岩波の月刊紙も,左翼の雑誌のように思われているふしがある。 その意味で,近代経済学グループが「首大構想」に反対した理由を述べる文章を 発表する段階で,迷いがあったようだ(「世間の目」からして,あの人達は やっぱり「左寄り」なんだ,という烙印を押されたくなかったのだ)。

コメント(3):[2005/04/20]

枝葉末節であるが,都立大のいわゆる「左寄り」の方々はどう行動したか, という点に関しては,初見氏が「世界」5月号(P. 166-167)に次のように説明している。

  「意思確認書」問題からは,今回の都立大学教員敗退の布地が明瞭に見て取れる。
 こうした局面で批判的な姿勢をとるよう期待されているらしい人々の動向を事情に疎い
 学外者からしばしば尋ねられるので,少し具体的に示しておくなら,法・経済学部とも,
 この露骨な恫喝に正面切って抗う教員は相対的少数派であり,学部内意見は実質的に分
 裂,法学部政治学専攻は前田学部長の路線に追随し,経済学部のいわゆるマルクス経済
 学者も早々と都への協力体制に入っていた。
  人文学部では社会学系の教員の大半は沈黙を守るか,都の方針に断固とした異を唱え
 ることにむしろ否定的な意見を突出させた。さらに,教授会で「意思確認書」の扱いは
 個人の判断とせず当面学部全体で保留することを決定していたにもかかわらず,ほとん
 ど全員が提出する一部専攻すらあった。これが,「意思確認書」非提出で学部意見をま
 とめられなくなった人文学部長が,あくまで非提出の堅持を表明していた教員をも含め
 て<全員提出>という離れ業に打って出た背景である。

普段から,社会批判を積極的に行っている著名な方々が沈黙したのは,七不思議 としか思えなかった。


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