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2005年5月08日<memory>

Mr. K からのメール:ある学生処分問題と都立大執行部の姿勢

(1) イントロダクション[2005/05/08]

2005年2月のある日,Mr. K からメールが届いた。Mr. K は,そのメールの中で「(2003年)8月1日以降はむしろ白けておりました。」と告白したのだ。その理由を述べた一部分を以下に引用する。

 私が孤立感を深めざるをえない最大の問題点は、都立大廃止の危機が2003年8月1日に始まったのではなく、2000年1月から続いていたという見方を共有できる相手が見あたらないということにあります。大学改革本部なるものを設置して知事=都庁に対する宥和策(私は密かに磯部路線と名付けております)が始まり、外部の圧力に屈して学生処分をおこなったときに、すでに外堀が埋められました。学内の意思統一がそっちのけにされた大学内は、当然ながら四分五裂し、そのなかでこれを自分に都合のよい改編の機会にしようとする人たちさえ現れて、知事=都庁の画策する分断作戦は見事に功を奏しました。
(アンダーラインは筆者による)

Mr. Kの認識によれば,2003年8月1日以前に,東京都と都立大学の戦いの勝負はついていた,ということになる。この点に関して, 『世界』5月号(2005/4/8発売)に掲載された初見基氏の論考「ある大学の死:都立大学教員はいかにやぶれていったか」には,以下のような説明(P. 172)がなされている。

<大学などぶっ壊す>といった都知事の乱暴な発言に萎縮するあまり筋を曲げてみせる大学執行部の無原則ぶりは、すでに2001年の学生処分問題で明らかになっていた。これは関係者の口からいつか語られることがふさわしいと思われるが、ある学生団体が作成して学内で配布した少部数印刷のパンフレットの記述に民主党の土屋たかゆき都議に対する人格攻撃が認められるとの理由で、執筆学生への処分圧力が学外からかかり、当時の荻上紘一総長は<政治判断>に基づきこれを受け容れ、本来踏まれるべき正式手続きを経ないままに学生処分を強行、総長に抗議した図書館長・教養部長が辞任するに到った事件だ。<改革>を迫られているさなか、東京都の強権を恐れるあまり一時しのぎによって嵐をやり過ごそうと自主規制に走る大学執行部の卑屈な姿勢が、こうして白日のもとにさらされたのだった。

(2) 解明の糸口[2005/05/08]

この「学生処分問題」の真相が果たしてどのようなものだったのかは,初見氏が触れているように関係者からの直接の説明がないと不明な点が多い。教授会での当時の説明では,よく分からないまま話がうやむやになってしまったという感じが否めない。また,「学生処分問題」が「大学改革」にどのような影響を持ったのかも確証がないまま今日まで私は放置してしまった。
 しかし,研究室の引っ越しにあたって,組合の資料が出てきた。また,Mr.K(頭文字ではない)と3月に直接話すきっかけがあり,おぼろげながら様子が分かってきた。

東京都立大学・短期大学教職員組合による「2000年度活動経過報告」(2001年6月29日発行)の P.92 には次の一節がある。

ここでなお、昨年の12月より生じた、いわゆる学生処分問題について一言しておかねばなりません。この問題については、『手から手へ』の第2085号に掲載した、中執声明[資料22]、事実経過、委員長談話の三つの文書において、事実とそれへの組合の立場を詳しく述べていますので、ここでは繰り返しません。常軌を逸した一都議の攻撃をかわすために大学執行部が超法規的に学生を処分してしまったという言語道断なこの事件は、都立大学の「自治」意識が大きく低下している事実を白日の下にさらしたと言えます。こうした自治意識の低下が、大学改革という大学が大きく動かされる危機の時期において、大学側が有効に対処できないという現状の根底にあります。

組合の中央執行委員会の声明は,上記の報告書にあるので収録した。一言で言えば,「大学の自治が侵害された事件」ということになるが,Mr. K 曰く,
「この一件で東京都は,大学生が騒がないことを確認した」
というのである。つまり,大学の教員が「大学の自治」を声高にさけんで団結するような体制がすでにないことを,東京都は承知していた。近年の大学生もまた,羊の群れのごとくおとなしい。しかし,ひょっとしたら都立大の学生は違うかもしれない。そんな不安があった。そして,その不安をきれいに拭い去ってくれたのがこの事件の結末だ,というのだ。以後,2001年3月には「東京都大学改革推進会議」が設置され,教育庁が大学側を強引に引っ張っていく路線が確立された。この会議では,4大学学長が参加していたが,同年6月14日には,短大廃止,都立大B類廃止(夜間課程),教員定数の削減などが矢継ぎ早に決定され,7月1日には「東京都大学管理本部」が設置され,都立大学は二級事業所へと格下げされてしまった。そして,これらの動きに対して,都立の大学の<教員,学生>が一致団結して強固に最後まで反対するという態度を取れなかった(組合や一部の学部教授会,一部の学生は明確に反対の立場を表明して行動していたが,大学執行部は明確な反対をしなかった)。つまり,その後は,東京都側のいいようにやられてしまったということである。最初の Mr. K の言葉を借りれば「知事=都庁に対する宥和策」が出来上がり,この方針は初見氏の言葉を借りれば「東京都の強権を恐れるあまり一時しのぎによって嵐をやり過ごそうと自主規制に走る大学執行部の卑屈な姿勢」が続くのである。

 このような態度は,皮肉なことに2003年8月1日の知事会見をきっかけに一部の教員達によって見直されることになった。「宥和策」を推進していた執行部の人達の中には,もうこれ以上やっていけないと判断したのか,大学を去る者も出てきた(2003年12月に表面化した「法学部4教授辞任事件」の内の一人は,そのような教員だった)。2004年1月21日の四大学教員の過半数による声明や,同年1月27日の評議会声明(PDF)(すでに都立大のWWWサーバ上から削除されている)は,それまでの「宥和策」ではやっていけないことに,ようやく気づいた挙げ句のことだったのだ。しかし,東京都側はすでに<強行できる確信>を持っていた。

(3) 背景[2005/05/08]

組合の「2000年度活動経過報告」には,冒頭の「全般的総括」の中に次のような一節がある(P.5)。

(8) 産経新聞社発行の雑誌『正論』2000年8月号に都議会議員土屋たかゆき氏が書いた「都立大学をダメにした ゛民青王国″の怪」なる一文が掲載されました。この一文は、教職員組合前委員長の宮原氏と教職員組合、教職員組合の役員経験のある学内部局長等への誹謗中傷で貫かれています。組合は、宮原氏の反論の投稿文を『手から手へ』に掲載するとともに、反論の執行委員会声明を出しました。また、宮原氏の反論文に対して、「都立大正常化を考える会」や自称「都立大新聞」が誹謗中傷ビラ・記事を出し、それへの宮原氏の反論の投稿文を3回ほど『手から手へ』に掲載しました。今後とも、いわれのない誹謗中傷には、毅然と反論していくことが必要です。

残念ながらこのあたりの知識は,私にはない。 都立大学には,「民青」の活動をしている学生がいるとか,自称「都立大新聞会」は問題である,という噂は聞いたことがある。

ただ,土屋たかゆき都議会議員に関しては,あの都立七生養護学校関連で以下のような発言をしたことが知られている。そして彼は,花輪ともふみ議員(都立大出身,「首都大学東京」の定款問題を文教委員会で議論した際にこのような発言をしておきながら,最終的には賛成にまわった)とともに,民主党の都議会議員である。

平成15(2003)年7月2日
平成15年 第2回定例会
一般質問要旨・答弁

○土屋たかゆき(板橋区)
 ある都立養護学校の教諭は、小学部の児童に「からだのうた」を歌わせています。歌詞は既に横山教育長にお渡しをしてありますので、後のご答弁の際にお読みをいただきたいのですが、歌詞は、男女の性器の名称を歌うことになっています。

●教育長(横山洋吉)
 「からだのうた」についてでございますが、知的障害のある児童生徒の性教育は、一人一人の実態に応じまして、身だしなみやエチケット、社会のルールとマナーの指導など、組織的、計画的に実施することが重要でございます。
 ご指摘の歌の内容は、とても人前で読むことがはばかられるものでございまして、男女の性器の名称が、児童の障害の程度や発達段階への配慮を欠いて使用されている、極めて不適切な教材でございます。
 今後このような教材が使用されることがないよう、教育課程の実施、管理の徹底につきまして、各学校及び区市町村教育委員会を強く指導してまいります。

このような土屋議員の追求の元に,都立七生養護学校で行われていた優れた性教育の実践を「ひわい」なものと誤解し,教師を大量処分したという不幸な事件が発生した。詳しくは, 訴状 をご覧頂きたい。 この時(2003年年7月4日),都立七生養護学校を視察したメンバーは、土屋たかゆき都議会議員(民主党),古賀俊昭都議会議員(自民党)、田代ひろし都議会議員(自民党)であり,3人は「世界の歴史教科書を考える議員連盟」なるものを作っているお仲間である。

横山教育長は,2001年3月に設置された「東京都大学改革推進会議」にも教育長として関与している。
ちなみに2000年5月10日,石原慎太郎東京都知事は,初めて東京都立大学を視察したが,その時に同行したのは,この3名の都議会議員だった。すなわち,土屋議員,古賀議員(2004年の定款審議の際は自民党文教委員(理事)でもあった),田代議員。ここには,石原都知事,横山教育長,土屋都議会議員,古賀都議会議員,田代都議会議員という線が見えてくる。あくまでも憶測だが,この人達は,ひょっとして「都立大=共産党の巣」としか考えていなかったのかもしれない。 もしそうだとしたら,レッド・パージ:「世間の目」とは違った現実 で述べたように,まことに不幸な誤解だったということになるが。

(4) 組合員攻撃:教員をねじ伏せるもう1つの処分問題と評議会の姿勢[2005/05/11]

都立大の組合で、中央執行委員として活動する人達は、雇用者側である東京都のさまざまな無謀な要求などに立ち向い、発言し行動する。たとえば,2002年度第2号の「支部ニュース」(発行:2002年度東京都立大学・短期大学 教職員組合文系事務支部委員会)には、抗議行動を行った理由が3つ記されている。

i. 「2年限り、延長はしない」と都当局が公の場で約束していた4%の給与カットを、約束通り延長はしないことで労使がいったんは合意したにもかかわらず、都議会での知事の(この労使合意は本意ではなかったという)不用意な発言により都議会の介入の危険を招き、結局1年間の延長を余儀なくされた。
ii.(本来約束違反である)給与4%カットの延長期間1年の終了にあたり、都当局が「給与4%カットのさらなる延長プラス人事委員会の給与引き下げ勧告を年度初めに遡って実施」という不当な「ダブル削減」の方針を一方的に打ち出した。
iii. このような度重なる都当局の約束違反に対し、組合が座り込みなどの抗議行動を行った。これに対し、副知事が「(『ダブル削減』という一方的な発言が)混乱を招いたことは遺憾」という事実上都当局の責任を認める発言をしたことにより、労使が交渉のテーブルに着いた。その結果、「給与カット幅は2%に縮小、(人事委員会勧告にもとづく)給与引き下げは年度初めに遡っては行わない」という合意を得た。
 今回の処分の根拠となった座り込みなどの抗議行動は、都当局の度重なる約束違反・約束不履行に抗議したものであり、特に抗議行動の直接のきっかけとなった一方的な「ダブル削減」発言については、「混乱を招いたことは遺憾」と都当局が自らの非を認める発言をしています。とすれば、一方の当事者である都側の非はいっさい問われず組合側だけが処分を受けるのは、著しくバランスを欠いていると考えるのがきわめて自然です。「自ら責任を認めている一方の当事者が何の処分も受けていないのに、もう一方だけを処分するのはバランスを欠くことになるので受け入れられない」というのが評議会の下すべき合理的な結論ではないでしょうか?

このような抗議行動は、東京都側の約束違反に対して行われ、これまで一定の成果を得てきた。上の抗議行動に関する理由を見ても明らかだろう。 しかし、2002年度の組合中央執行委員に対する都の処分要求が例年より突然エスカレートし、当時の都立大評議会がやすやすとそれに屈して要求通りの処分を下してしまう、という事件が起きた。

都労連(都の組合連合体)傘下の組合が行う行動に対して、東京都は毎年処分を要求してくるのだが、都立大教職員組合に関して言えば、例年は都労連の幹部を務める委員だけが処分要求の対象だったのが、2002年度から突然エスカレートした。その結果、委員長と副委員長は停職3日、X委員は停職1日などの不当に重い処分が行われた。

文系事務支部長は、評議会メンバーに(処分が2003年3月の評議会で決定されたため、2003年度の新メンバーに)対して抗議の以下の内容を含む文書を送付した。

都当局の要求を「丸呑み」した今回の評議会の決定は、せっかく大学に与えられた自治機能を法人化を待たずして自ら放棄していると言わざるを得ません。「新大学発足に向けて今都当局を刺激しない方が得策」というような「政治的判断」が今回の決定の背後にもしあるとすれば、「上のご機嫌を取るために同僚を『売る』」という人間としてもっとも恥ずべき卑怯な行為により、幕を閉じようとしている旧都立大の歴史に消しがたい汚点を残すことになります。

そして、2003年度の中央執行委員も処分要求の対象となり、Y氏に対して東京都は「戒告」の処分要求を出した。これは評議会での議論の末(地方公務員法上の処分ではない)「訓告」に「格下げ」されたが、この評議会の「格下げ」決定に対して東京都は、処分問題とは何の関係もない「傾斜配分予算」の執行停止、という暴挙に出た。
(この予算執行停止は約1ヵ月後に都当局が自ら撤回し、これによって評議会の決定が覆ることはなかった。)

このような組合員の処分強行が成功したことは、「都立大くみし易し」と東京都に認識させる結果となった。 これも「都立大解体」の事態を招くひとつの原因となったと考えられる。


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