by Junji Okamoto

「首都大学東京 利益17億」の裏 [2006/07/30]

  1. イントロダクション
  2. 東大の黒字との比較
  3. 首大で起きていること
  4. コンビニ化大学東京
  5. 結論

1. イントロダクション

2006年7月1日(土)の読売新聞(東京地方版)に「首都大学東京 利益17億円」, 「法人化後初の決算」,「研究拠点整備に活用へ」という見出しの3段抜きの記事がおどった. その記事の内容は,前日にプレス発表され, その後 首都大学東京 のサイトに 平成17事業年度決算の概要(PDF) 平成17年度決算の概要と「大学改革を加速する新たな取組」(PDF) 大学改革を加速する新たな取組(概要版)(PDF) 大学改革を加速する新たな取組(PDF) に掲載されたものとほとんど変わらなかった.読売新聞の記事は, 簡単な大学側からの説明らしき言葉で締めくくられている.

...同大では「利益が出ても,都立のころは余ったお金として使いにくかったが, 法人化によって大学の裁量で使いやすくなった」としている。

ほとんど法人側の発表通りのことを,そのまま大きな記事として扱うことに, 疑問を感じざるを得ない.法人といっても,本来, ただ利益のみを追求する会社ではなく,教育という「公益」を支える法人なはずである. その意味で,法人の「金銭面」だけでなく,教育・研究の実態を少しでも明らかにする報道姿勢があってもよかったのではないか.

ちなみに,都立大・短大組合 のサイトに7月10日付の 「手から手へ」(2414号) が掲載されたが,「大学改革を加速する新たな取組」 という勇ましいタイトルとはかなり違った大学の実情が見えてくる.

法人化して一年経った大学の実情はどうなのか, マスコミは知らんぷりをきめこんでいるとしか思えない. 知事の「ひと声」と鳴り物入りで登場した首大のコンセプト「大都市における人間社会の理想像の追求」 はどこへ行ったのか? だれも定義できなかった「都市教養」を初め, 単位互換制度と比べてどこが利点なのかちっともわからなかった「単位バンク」制度, <そんなものまで単位にしてよいのか>という大きな疑問を投げかけた 「ボランティア参加を単位バンクの単位と認定する」という摩訶不思議な制度, 教育責任の放棄でしかない「英語教育外注」など, いずれも,都の発表の時には,大きな記事になっていたはずだが, その後,現場で始まっているはずのこれらの行方をまったく報道しないのは, どうしたわけだろう?

ニュースバリューがないのか?
否!
都立大・短大組合 のサイトを見ただけで,当初の知事の「掛け声」でスタートしたものが, うまく行っているとは思えないことがわかるはずだ. 取材すれば,「面白い」記事が書けるはずだ.

それとも,マスコミの記者達は,誰かに書くことを止められているのだろうか?
Probably, yes.
直接的にある記者が書くことを止められているというよりも, 東京都に批判的な記事を書く記者がなぜかいなくなっているように思える.

確かに,大学の中の実態は,外の者には,なかなか見えてこない. しかし,組合の 「手から手へ」(2414号) や,若干の噂話から想像すると,そこには,法人化前とは大きく異なった, 困難な教育・研究環境が間接的に見えてくる. そこで,「想像をたくましくしながら」,今回の「首都大学東京 利益17億」の裏を考えてみる.

2. 東大の黒字との比較

2005年7月26日,共同通信は「東大、“黒字”53億円」,「法人化後初の04年度決算」 というタイトルの記事を配信した.法人化後の初決算という意味では, 首都大学東京と同じ状況である.その記事を以下に引用する.

  東大は26日、経常利益が約53億円に上ったとする2004年度決算を公表した。 決算は昨年4月の法人化後初めて。予算通りにお金を使うだけの法人化前と変わり、 企業会計にならった公表になった。
 東大は「法人化で財政運営がより弾力化できるようになった。 経常利益が出たことで年度をまたいだ事業にも支出できる」としている。
 決算によると、収入は、運営費交付金861億円や病院収入300億円のほか、 授業料や入学金など計1771億円あった。 経費は人件費が791億円で最も多かった
 経常利益が出たのは、物品調達の効率化による経費削減で、 運営費交付金の一部を浮かせることができたため。このほか経営する家畜病院の収益アップもあった。

さまざまな違いはあるにせよ,ここで東京大学(2004年度決算)と首都大学東京 (2005年度決算)の記事から, その決算内容の簡単な比較をしてみよう.

読売新聞,7月1日の決算にかかわる部分を以下に引用する.

 決算によると、経常収益は都からの運営費交付金147億円や、 授業料など学生からの納付金50億円など、 総額で214億円。一方、支出に当たる経常費用は185億円で、 内訳は教育・研究業務費が161億円、運営管理費が24億円だった。 ここから不測の事態に備えるための積立金など計12億円を除いた17億円が利益。 業者との委託管理契約を単年から複数年に切り替えてコストを下げたり、 定員を大幅に超えていた教員数を見直して人件費を削ったりした経営努力の効果で黒字が膨らんだ。

この2つの記事を元に,以下のような表を作ってみた.

    東京大学 首都大学東京
  運営費交付金    861億円 147億円
  その他収入 1771億円(内,病院収入300億円)   50億円(学生からの納付金など)
  経常費用総計 ?億円 185億円
   人件費 791億円 ?円
   教育・研究業務費   ?円 161億円
   運営管理費 ?円 24億円
   積立金など ?円 12億円
   経常利益の原因(1) 物品調達の効率化 委託管理契約の変更
   経常利益の原因(2) 家畜病院の収益アップ 教員数見直しによる人件費削減

新聞記事からだけで判断しても,面白いことがわかる. 記事の本文中の青字と,表の 赤字で示した人件費の扱いの違いに注目したい.

経常費用の中で,東大は,人件費が一番大きかったことを認めているが, 首大は,人件費という項目を立てていない.想像するところでは, 「教育・研究業務費」の中に含まれるものと推察されるが, 首都大学東京 のサイトに公開された4つのPDFファイル 文書1(PDF)文書2(PDF)文書3(PDF)文書4(PDF) には説明がない.しかし,経常利益が出た理由の2番目に,首大は, 人件費削減を挙げ,ご丁寧にも 定員を大幅に超えていた教員数を見直して人件費を削ったりした経営努力の効果で黒字が膨らんだ と説明している.つまり,

(1) 首大の発表では,経常費用の中で人件費がどれだけを占めていたのかが明らかではない.
(2) それにもかかわらず,首大は経常黒字の2番目の理由に人件費削減を挙げている.

幸なことに,首大が「おまえなんか首だい!」と言って,教員の生首を切ったという話は, 未だに聞いたことがない. では,なぜ「教員数の見直し」が可能だったかと言えば, 教員の方で「自主的に」首大を出て行ったからにほかならない. このあたりの実際の数字は, クビダイ ドット コム「首大構想はどれだけの教員流出を引き起こしたか (まとめ)」 および, 2005年度の首都大学東京教員流出総数 を参照すればよくわかる.

それにしても,「定員を大幅に超えていた教員数」というのには,恐れ入った. 都立大当時から,「定員を越えるだけの教員数」を抱える学部はなかったはずだし, 首都大学東京発足前に,東京都の方で勝手に定員削減案を作り, 押しつけてきたのである.

たとえてみれば,50ある椅子に,初めから40人しかすわっていなかったのだが, 椅子の数を20減らして,30人しかすわれない状態にし,「定員10名オーバーだ!」と叫んだようなものである.

教員の大量流出がなければ,首大はおそらく非常に困ったはずである. その意味で,教員流出を戦略的に残念がる声もあるが,それは違う. よりよい研究・教育環境を求めて「移動」するのは, 大学教員にとっては自然なことであり,ある意味では権利ですらある. 首大が教員にとって魅力のない大学(例えば,教育・研究環境が悪い, 教員の負担が多すぎる,雑務が異様に多い,賃金が低い等)である状況が続けば, 教員流出は止まらないだろうし,それは,最終的に首大の大学評価を下げることに直結する. それに気がついていない大学当局というのは,手がつけられないほど絶望的である.

首都大学東京の全体での教員数の減少に関しては, 平成14年度で846人, 平成15年度で810人, 平成16年度で753人, 平成17年度で703人というデータがある. これだけ教員数が減って,十分な教育・研究ができているのか, はなはだ疑問である.1人の教員に対する負担は,確実に増えていると考えられる.

3. 首大で何が起きているか?

冒頭に記したように, 組合の 「手から手へ」(2414号) や,若干の噂話から想像したことを以下にまとめてみる. 本来は,大学内部から個人名を伏せる形でよいので「黒書」が出てきて, 実情を語ってくれればよいのだが,まだそのようなものは公にされていない.

人件費削減
前年度に法人固有職員を大幅に削減し,(1) 任期付職員,(2)  パート職員, (3) 人材派遣職員で代替した.

コメント
首大職員のかなりの部分の職員が有期雇用となってしまったらしい. 大学運営の両輪は,教員と職員だが, 職員が業務を円滑かつスピーディーにこなせないと,そのしわ寄せは教員に来る.最終的には, 大学運営全体に大きな影響を与えることになる.パート職員, 人材派遣職員の激増は日本社会全体の問題でもあるが, 仕事の引き継ぎがうまくいかなかったり, 仕事に対する責任感が固定職員と比べてかなり低いケースが問題になっている. いつやめてもいい気分でマニュアルに従って働いているパートタイマーが, 大学の事務仕事をするようになったら大変なことだと思う.

大学改革を加速する新たな取組 −改革加速アクション・プログラム− (文書4(PDF))

「手から手へ」2414号によれば,このプログラムは 「教育研究の理念等に踏み込んだ提言」を含んでいるにもかかわらず, 「教授会など教学組織でいっさい議論されないまま発表され」たらしい. まず,文書に署名がない.いったい,いつ誰が何の責任においてこの 文書を作成したのかが明らかではない(PDFのプロパティを見ると, 作成者は「首都大学東京」,作成時間は, 2006年6月30日13時43分51秒で,Word から変換したものであることが分かる). 作成者が理事長,学長なら当然,名前を入れるだろうから, 教育研究審議会のメンバーの誰かが作ったのか, 文書の問い合わせ先にあるように,経営企画室長自身が作成したのかもしれない (組合の「手から手へ」2414号では,「文書を作成した」のは,「法人の幹部職員」としている).

文書の問い合わせ先に関して,「手から手へ」2414号は以下のようなコメントをつけている.

 さて今回発表された文書だが、「事業面での主な取組」、 「改革加速アクション・プログラム」の問い合わせ先は、 経営企画室長となっている。だが経営企画室長は、7月16日付の異動で、 事務局長とともに大学を去ることになっている。 そもそも法人事務局のナンバーワン、ナンバーツーがそろって異動とは、無責任体制もはなはだしい。

ひとつ付け加えるなら,このアクション・プログラムの問い合わせ先である経営企画長は,実名つきである. つまり,内容が分からないと思って,ある都民が電話をかけても, もうこの文書の問い合わせ責任者はいないのである.常識的に言えば, 後任の経営企画長が応対することになるはずだが,もし, 「お役所仕事的常識」が通用するなら,「あの時の担当者は,もういません. ですから,詳しいことにはお答えできません.」という返事が返ってくるかもしれない. 大学評価をやる予定の外部委員の方は,ここで是非,電話をかけて調べて頂きたい.

大学改革を加速する新たな取組 −改革加速アクション・プログラム−
第2 改革を加速するための課題 (文書4(PDF))

コメント

この章は,「1 教育面,2 研究面,3 社会への貢献,4 産業技術大学院大学, 5 法人運営」に分かれているが,教育面と研究面が一番滑稽である (「あの方」の言葉をそのまま入れたふしがある). まず,「改革を加速するための課題」の内で,「教育面」では, <「ロマン」と「人間力」を持つ人材を育てる真の人間教育の実現> という副題が付けられ,次のような課題(?)が掲げてある(以下引用).

少子化など社会状況の変化を踏まえ、学生から選ばれる大学として、 大学全入時代における大学間競争を勝ち抜き、 社会が求める少数精鋭時代に耐えうる人材を輩出する。 「ロマン」と「人間力」を持つ人材を育てる、 真の人間教育の実現に向けて 「新たな基礎・教養教育」の開始や大学院再編などの開学1年目の成果を、 さらに深化・発展させるとともに、 それらを支える教育環境・体制の多面的かつ戦略的な整備が必要。

首都大学東京が,教育面で 「『ロマン』と『人間力』を持つ人材を育てる」 のだそうだが,それが「社会が求める少数精鋭時代に耐えうる人材」とどう結び つくのか,説明が欠落している.さらに,多少無理をして 句読点の後の「真の人間教育」に直接つながると考えると, 「『ロマン』と『人間力』を持つ人材を育てる」=「真の人間教育」 ということになるが,これも説明不足.そして, 目指す教育をするために,「新たな基礎・教養教育」をやるのだそうだ. 「社会が求める少数精鋭時代に耐えうる人材」=「ロマン」を持つ人間, という図式も理解できないが,<「人間力」を持つ人間>とは, 一体何なのか? 「人間力」を持たない人間が多いという裏の主張があるのなら, まずはそこから始めてもらわないと,読者はついて行くことができない. まあ,ここは,首大がどのような教育をするのか,お手並みを拝見したい.

「マロン」,いや失礼,「ロマン」に関して, 「手から手へ」2414号は次のようにコメントしている.

ここで唐突に掲げられた「ロマン」と「人間力」 がいったい何をさしているのかが不明だが、 東京都が導入した都市教養プログラムなどのいかなる総括の上に、 こうした「真の人間力」なる新しいスローガンがでてくるのかまったく不明である。 また教学組織でもいっさい議論をしたという話は聞いていないのである。

次に,研究面の課題を引用する.ここでの副題は, <現場から生まれる独創性とチャレンジ精神に満ちた研究の推進>だ.

現場にある切実なニーズをとらえ、その本質を深めていくことによって、 真の独創性ある研究が生まれる。創意工夫とチャレンジ精神をもって、 自らの研究の限界を自らの力で乗り超えていくことが研究の要諦である。 ポスト21世紀COEプログラムの獲得、 大学独自の戦略的・重点的研究の推進、 提案公募型研究や企業との共同研究など外部資金による大型プロジェクトの獲得を支える研究基盤・ 体制の多面的かつ戦略的な整備が必要。

いきなり「現場」で始まるこの文章は,まさに「あの方」の特徴かもしれない. 「創意工夫」も「チャレンジ精神」も「自らの研究の限界を自らの力で乗り超える(sic!)」 のも大変結構なことだ.しかし,「ポスト21世紀COEプログラム」とは, 一体何なのか? ポストとは,ラテン語のpostから来ており, その意味は「後ろに,のちに,その後」だから,ポストモダンといえば, モダンの時代の後にくるもの,という意味になる. 午後を表わすp.m. は, post meridiem の省略形だった. そうすると,「ポスト21世紀COEプログラム」 とは,「21世紀COEプログラム」の後にやってくるもの,ということになる. さすがに,首大はスケールが違う,すでに,「21世紀COEプログラム」 の後に来るものを予想して研究計画を作成しているようだ. それに続く言葉は,どこでも目にする空虚な作文,といったレベルで特にコメントはない.

17年度決算の概要と「大学改革を加速する新たな取組」
初年度の実績 (文書2(PDF))

☆ 基礎ゼミ、現場体験型インターンシップを開始
☆ 青年海外協力隊への参加を大学の単位に
☆ 学生生活から就職までトータルな学生サポートを実現
☆ 青少年健全育成対策、花粉症対策など都政の重要課題の解決に貢献
☆ 首都大学東京に「インダストリアルアートコース」を開設(18年4月)
☆ 任期制、年俸制、教員評価 = 「新たな教員人事制度」を整備
☆ 理事長・学長のリーダーシップを確立
☆ 「産業技術大学院大学」を開学(18年4月)

コメント

これだけの実績があると並べられても,その実際の所は不明である. ただ,近年の傾向として,このようにキャッチフレーズだけを並べておけば, それ以上誰も追求しない,ということがままある. それを狙っているような気がしないでもない.

☆ 「基礎ゼミ、現場体験型インターンシップを開始」
「基礎ゼミ」とは,初年度当初からやる予定になっていたもので, 「授業開始」というのとどう違うのか,なぜこれが取り立てて実績と言えるのか, 分からない.また,「インターンシップ」というのは,「一定期間,職場(現場) で実習する制度」なので,「現場体験型」とするのは変だ. 「現場体験型」ではないインターンシップがあるとは思えない.

☆ 青年海外協力隊への参加を大学の単位に
「青年海外協力隊への参加」は,当初の石原都知事の発言では,「単位バンク」 の単位と認定されることになっていた. そして,どうやら,その方向で大学内でも話し合いが行なわれたようなのだ. 曰く,「青年海外協力隊への参加は大変結構なことだ」, 「ボランティアに参加することは,好ましい」というような論調で. 果たして,どのような制度となったのかは不明だが,大学の単位として, 「青年海外協力隊への参加」を位置づけること自体, 学問の府である大学の責任ある教育・研究体制の中で考えたら, 奇妙きてれつなことなのに,その基本理念すら忘れて, 大学の成績評価の一貫である「単位」を安売りしてしまうのは問題である.

「手から手へ」2414号によれば,当の単位バンクですら, 「ある在京の大学に単位バンクに関連して単位互換を申し入れた際には、 大学としての教育責任を放棄するものであるとして相手方が拒否した という事例が、今年になって発生している。」そうだ. これは,至極当然だろう.しかし, 「法人が鳴り物入りで喧伝している『単位バンク』は、 他大学のいくつかの講義を認定した 」そうで, それらの大学の見識を疑わざるをえない(いったい, いくつの大学のいくつの講義なのか,どの大学のどの講義なのか?). あれだけ首大の「目玉商品」として宣伝しておいて, 実際には,ほんのわずかな限られた他大学の講義しか単位にならない, とか,授業料は学生が個人で支払うという実態を知ったら, 騙されたと思う学生がでてきても不思議ではない. 教育は商品の売買ではないが,ここはひとつ, 公正取引委員会にお出ましになってもらい, 「誇大広告」を取り締まってもらいたいものだ.

☆ 学生生活から就職までトータルな学生サポートを実現
その内容というのは,「学生サポートセンターを設置,新たに就職課を設置, 就職カウンセラーによる相談やガイダンスを強化, キャリア形成支援の専門知識を持つ学修カウンセラーを新たに配置」 だそうだ.まあ,今どき,どこの大学でもやっていそうなことなので, 取り立ててコメントしない.

☆ 青少年健全育成対策、花粉症対策など都政の重要課題の解決に貢献
具体的に誰が何をやったのかがわからない.「貢献した」というのは, <時にはたいしたことはやっていないが,多少のことはやった> という意味の常套句である. 想像をたくましくすると,「青少年健全育成対策」 は,都立大時代からこの方面での法的問題にかかわっていた方が, 昨年も委員会に出ていたということかもしれない. また,「花粉症対策」は, かつての保健科学大学が首大の中に組み入れられたため, 首大の中に花粉症関係の研究をされている教員がいる,という意味かもしれない.

☆ 首都大学東京に「インダストリアルアートコース」を開設(18年4月)
18年4月に開設したそうだが,どれくらいの学生が入学し, どのような教育が行なわれているのか,私は知らないので,コメントできない.

☆ 任期制、年俸制、教員評価 = 「新たな教員人事制度」を整備
「教員の意欲と努力に応え、大学の教育研究の質をさらに高めることを目的として」 「トータルにとらえた新たな教員人事制度」が整備されたそうだ. そんなにすばらしいなら,全員が任期制,年俸制を選択してもおかしくないだろう. しかし,そんなことは聞いていない.任期制・年俸制を選択しなかった教員も, かなりの数がいる.

平成17年4月1日の時点で,首都大学東京の全教員703名のうち, 新制度(=任期制・年俸制)を選択した教員は349名, 旧制度のままの教員は359名という数字がある.この時点では, 任期制・年俸制を選択した教員は,半分もいないのである.

教員評価が「整備」されたというのも初耳だ. どれだけきちんとした制度ができたのか,是非,外からの問い合わせに対しても, 整備された「新たな教員人事制度」を公開して欲しいものだ.

☆ 理事長・学長のリーダーシップを確立
「意思決定システムを見直し、理事長・学長のリーダーシップを確立しました。経営的な視点からの 予算配分を行うとともに、コストパフォーマンスの向上を図りました。」 というのが説明だが,「確立した」というのは, それまでは「確立していなかった」ということで,昨年度一年間かかって 「確立できた」ということを意味する.また,「経営的な視点からの予算配分を行」 なったようだが,大学での教育的,研究的視点はどこへいったのだろうか? 「手から手へ」2414号は,以下のようなコメントをつけている.

 また「理事長・学長のリーダーシップを確立」に至っては、 いわば虚偽の報告であり、都民を愚弄するものであろう。法人は、 先に文部科学省の実施した「公立大学の法人化を契機とした特色ある取組」 についてのアンケートでも、 「理事長・学長のリーダーシップによる迅速な意思決定を実現するシステムを整備した」 ことを強調しており、これについては法人が確信を持っているものと理解したい。
 だが法人化の過程で、理事長は助手の職務実態等についいて誤った認識を公的な場面で吹聴し、 教員から激しい批判を浴びた。その後、理事長は2度ほど教員との懇談を行ったのみで、 法人、大学の実態についてその目で観察し、 分析するなどという態度は持っていないのではないか。学長についても、 昨年度、学長としての職務はおろか、兼任する副学長、オープンユニバーシティ長、 図書情報センター長等の職務に責任を持たず、業務に大きな支障がでたこと、 センター入試の監督員を前に、およそ大学入試という大学の事業として最も重要なものの一つであり、 かつ非常に緊張を強いられる場での発言とは思えない言葉を発し、教職員の顰蹙を買ったことは周知のことである。  「理事長、学長のリーダーシップを確立」したなどということを主張する理由を、 文書を作成した法人の幹部職員は、具体例をあげて教職員・学生と都民に対して詳細に説明する義務があろう。

論点だけを整理すると:

理事長

  • 法人化の過程で、 理事長は助手の職務実態等についいて誤った認識を公的な場面で吹聴し、教員から激しい批判を浴びた。
  • 2度ほど教員との懇談を行った。

学長

  • 学長としての職務はおろか、兼任する副学長、オープンユニバーシティ長、 図書情報センター長等の職務に責任を持たず、業務に大きな支障がでた。
  • センター入試の監督員を前に、 およそ大学入試という大学の事業として最も重要なものの一つであり、 かつ非常に緊張を強いられる場での発言とは思えない言葉を発し、 教職員の顰蹙を買った。

顰蹙(ひんしゅく)をかった発言とはいったい何だったのか, 興味は尽きないが,学長発言はあいかわらず物議をかもしているようだ. 噂話では,首都大学東京の英語パンフレットも凄いようだ. 外部委託した大学案内だが,「普通の高校生の英語」程度の英文だそうで, 紋切り型の同じ表現が繰り返し使われているとか, 日本語直訳の笑える英語表現があったとかで,大いにもめたらしい. その後,かなり大学側で英語を修正したようだが, 最終的にどうなったのかは聞いていない.学長のお言葉も,期待できるようだ.

☆ 「産業技術大学院大学」を開学(18年4月)
これも,鳴り物入りで宣伝されたが,その後音沙汰がない. 新宿の駅に看板広告が出ているのは見たが, いったいどのような状況なのかは不明である.

4. コンビニ化大学東京

公立大学法人首都大学東京が,一年にして17億円の利益をあげたというのは, 正直に言って予想もしなかったことだが,思えば高橋理事長が就任前に公約 していたことが実現したことになる. その頃は,そんなに簡単に大学経営で黒字にできるものではない, と批判していたが,こうなるとお見事といわざるを得ない.しかしである. 2. 東大の黒字との比較 でも述べたように, 経費削減に当たっては,委託管理契約の変更などの努力もあったろうが, そのかなりの部分が教員数激減にあると推測できる.

研究・教育費の配分はどうだったのだろうか? 文書1(PDF) では,何も触れられていない.ただ, 「公立大学法人首都大学東京中期計画の達成に向け、教育・研究及び社会貢献等の各分野について、 17年度年度計画を着実に実施しました。」(下線は,筆者による) と書かれているので何の支障もなかったのかと思ったが, 「手から手へ」2414号は,以下のように述べている.

だが、研究費配分において、 あいかわらず教育研究の実態をまったく反映しない配分が行われたため、 教育研究に大きな支障がでているのが実態であること、ある教育分野に対して、 予算が計上されていないことが年度途中に発覚したことなど、 教育研究に対して適切な予算配分がなされてきたとはとうてい思えない。

教育研究の実態をまったく反映しない配分が行なわれた というのを読み,その実例が挙げられていないものの, あり得る話だと思った.何しろ,経営戦略にはたけてるかもしれないが, 教育・研究とは無縁な理事長を戴いているのだから,当然といえば当然だ. 理事長 は, 2回ほど教員との懇談を行なったそうだが,大学の実態を知るためには, 当初,理事長に就任する前に公約したように,「一ヶ月に一回」 教員との懇談を持ち,大学内を見て回るべきだろう.そうすれば, 「コストパフォーマンス」や「戦略的大学経営」よりも, 実際の大学の教育・研究がどうあるべきか, 少しでも理解できるようになるだろう.

もう1つ気がかりなことは,賃金水準だ. ひょっとして低いまま据え置かれているのではないか. この点でも,「手から手へ」2414号は, 「また固有職員の賃金水準、教員の給与における手当の廃止など、 法人に働く者の労働条件を切りつめているのが実態であろう。 教育研究や教職員の賃金の犠牲により、 予算を17億円浮かせたことを礼賛するのは、本末転倒であろう。」 と指摘している.

およそ8年前に私が都立大学へ赴任した頃, 地方公務員の給与は国家公務員の給与より若干よい,と言われていた. しかし,それはほとんど変わらないレベルだった.そしてその後, 東京都の赤字削減対策として,給与カットが続き, あっと言う間に国家公務員のレベルを下回った.そして, 今度は「諸手当て」が廃止されたという.このような事態になると, 「一か八か,新制度(=任期制・年俸制)に賭けてみよう」 という教員が出てくる背景も理解できる.つまり, 追い詰められ逃げるところがなくなり, 「ひょっとしたら 少しはましになるかもしれない」 と思って賭けにでる,そんな危険な行動だ.

これまでの大学での教育・研究の常識をいったん離れて, 首大の状況を見ると,これは, 恐ろしい程にコンビニ経営と似ている ことがわかる. 以前,都立大の危機 -- やさしいFAQ -- でも,この比喩(北海道大学教官の「憂鬱」 第3回)を取りあげたが, 再検討してみよう..

  1. コストパフォーマンスを上げることが至上命題である.
  2. 徹底した商品管理を行ない,売れる商品しか店に置かない.
  3. 店員は,店長以外は,パート職員.
  4. 広告で,その季節の売れ筋商品の宣伝をする.

コンビニは,商品を販売するが,大学を店にたとえると, 商品は「学生」である.売れる学生だけしか店に置かない,ということは, 「企業が人材として欲しがるような専攻を学んだ学生」 だけしか育てない,ということだ.例を挙げよう:

  • インダストリアルアートコース(平成18年度開始)
  • 都市政策コース(平成19年度開始)
  • 観光・ツーリズムコース(平成20年度開始)

これらのコースは,すべて東京都(の誰か)が, 「売れる商品」を作るために設置した/しようとしているものだ. 本当に売れる商品となるかどうかは, 売ってみないと分からないが,もし駄目なら, さっさと店から引きあげるだろう. 売れない商品は置かないのが原則だからだ.

「学生サポートセンターを設置,新たに就職課を設置, 就職カウンセラーによる相談やガイダンスを強化, キャリア形成支援の専門知識を持つ学修カウンセラーを新たに配置」 というのは,商品が売れるようにするための対策だ. コンビニで言えば,商品を売れやすい場所に陳列するとか, 商品についたほこりを払うとかいった仕事だ.

教員は,このコンビニ・モデルの中でどこに位置するのか, 当初ははっきりしなかったが,これは, コンビニで多少の加工をして売り出している商品, 例えば冬の「おでん」,夏の「ソフトクリーム」や「かき氷」 を作りだす店員でしかない. そう,このコンビニ・モデルでは,大学の職員も教員も,等しく「店員」でしかない のが特徴なのだ.

店長は,理事長.学長は,店長を補佐するただのパート職員なのかもしれない. 店長も実は,会社に雇われているのだが,首都大学東京では,雇い先は, 東京都であり,そこの社長は石原都知事ということになる.

現代の消費社会では, 広告が,商品を売り出す上で必要不可欠である. 商品の品質がいかに良くても,広告代を使わなかったり, 広告の仕方に失敗すると,商品は売れなくなる. 電車の吊り広告だけでなく, そのうちにあらゆるメディアを使って, 私学と並んで「首都大学東京」は,広告を打ってくるに違いない. おかしな広告をみかけたら,日本広告審査機構JARO に相談してみよう.

大学のコンビニ化は,なにも首都大学東京だけで進行しているわけではない. 私立の大学は,多かれ少なかれコンビニ化されていると考えてよい. ただ,問題なのは,国立大学や公立大学までもが, コンビニ化する必要はない,という点である. 公(おおやけ)の教育機関は,たとえ赤字であろうとも, たとえ特定の時代において無価値なものと見なされも, 永続的に学問を追求する場として保障されねばならない. それが,国や地方自治体が大学を運営する真の意味であり, 「社会の豊かさ」の象徴ではないか.

「首都大学東京」は,法人化という衣を着せられてはいるが, 東京都の肝入りで作られている. 東京都という地方自治体が,学問の府である大学を, 私学と同じようにコンビニ化しようと介入した,これが,「首都大学東京」 の正体だろう. 東京都立大学の現況 --地方自治体の大学への介入 は,かくして「コンビニ化大学東京」として完成する. (地方自治体の大学への介入を記録する年表参照)

5. 結論

少子化が急速に進行中の日本においては,若者の数は減少の一途をたどり, 大学に入学する学生数もどんどん減少する.最終的に生き残る大学は, 一部でしかないだろう.全体の数が少なければ, 優秀な学生の全体数も少なくなるから,基本的に,日本の科学,および, 高度な技術の後継者はどんどん減っていく.それに引き換え, 中国はその人口規模からいって,今後どんどん大学は増え続け, 優秀な学者や技術者を世界に供給することになる.

そんな中で,日本はどうなるのだろうか? 全国に「コンビニ化した大学」しかない状況になってしまったら, そのうち,儲からないことがわかった「コンビニ化大学」が, 一斉に店を閉じることにならないだろうか?

コンビニは短時間の内に作られ,つぶれる時には, あっと言う間につぶれてしまう.そして,後に残されるのは, 店の象徴的な看板や飾りを剥がされた廃墟である. かつては,あんなに賑わっていた店が,あたかも, もう10年前からの廃墟のように見えてしまう.

「時代のニーズに素早く対応できる大学」が良いとするのは, 典型的な「コンビニ化大学」の思想である. 短期間の間に,ころころと姿を変え, 気がつくとつぶれているような大学が,「コンビニ化大学」 のもう1つの姿である. 「時代のニーズに対応できる学問領域」を創造することは, 悪ではない.大学全体をそのような方向へ導くことがいけないのだ.

時代の流れに翻弄されず,淡々と学問の流れを引き継いで次の世代に伝えていく, それこそが大学の本来あるべき姿であると思う. 「真の豊かさ」を備えた社会は, そのような「学問の贅沢」を許容し,現代の英知を未来へと伝えていく. それが分からないのが日本だとしたら,日本は, 残念ながら「真の豊かさ」が理解できない国だった,ということになる.