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『解説がくわしいドイツ語入門』(2014)   裏の話

この本を書くに当たって、それぞれの箇所で悩んだこと、工夫したこと、 諦めたこと、苦労したことなどを公開します。 「裏の話」は、言い訳でもありますが、「本来は...を意図していた」 ということを明確にするためでもあります。 将来的な改訂へ向けて、考えていることも書くつもりです。

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いくつかの方針 (1) 「カタカナ発音」(15.März 2014)

初級入門書としては、「カタカナ発音」をつけて欲しい、という要望に答えました。 ただし、「カタカナで外国語の発音が書けるか?」と問われれば、 もちろん答えは、「いいえ」です。

ただ、本当に最初の時に「カタカナ」のルビがふってあると 「なんとか読める」という安心感があります。 私も、未知の外国語を学ぶ時に、入門書を買って「カタカナ」表記にたよって読んだ記憶があります。

ただ、いつまでも「カタカナ」表記にたよってしまうと、 本当の発音ができないまま進んでしまい、結局、その外国語の習得にはマイナスになってしまいます。 そこで、『解説がくわしいドイツ語入門』では、第10課までで 「カタカナ」表記を打ち切りました。 また、同じ文型が繰り返し出てくる部分では、違っている単語だけに「カタカナ」表記を付けるようにしました。 すべて、<より早くカタカナ発音から離脱して欲しい>という思いからです。

カタカナ発音で決定的に駄目なのは、ドイツ語の場合
(1) L と R の音の区別
(2) 子音で終わる語の発音
(3) ウムラウトのような中間母音の発音
です。

「ロート」と書くと、(1) にも (2) にも抵触します。 (1) に関しては、「ロ」が L なのか R なのか分かりません。 rot は形容詞で「赤い」という意味、英語の red に相当します。 Lot は名詞で「下げふり」、「垂線」、「はんだ」 という意味で、英語では、それぞれ plumb, perpendicular, solder に相当します。 (2) に関しては、子音 [t] で終わるものを [to] と発音してしまうので、 決定的に通じません。

「ケネン」と書くと、kennenkönnen の区別がつきません。 kennen は「…を知っている」という他動詞で、 können は「…をすることができる」 という助動詞ですが、ドイツ語では「…ができる」という動詞でも使えます。 können に含まれる母音は、 (3) に関係する中間母音で、発音記号は [œ] です。この音は、「エ」でも「オ」でもありません。

このように、(本書における)カタカナ発音は、決してドイツ語の発音を正確に反映したものではないので、 そのつもりで見て下さい。 例えば、Deutsch という単語の末尾の音は、 発音記号だと [ʧ] と書く歯擦音(はさつおん)です。 これは子音ですから、「チュ」ではありません。「チュ」というのは、 [ʧɯ] のように唇を丸めない「ウ」の音が後ろに入っています。 ですから、Deutsch を「ドィチュ」と発音してはいけないのです。 私は、むしろ「ドィチ」の方がましだとおもうのですが、 それでも、[ʧi] のように、 今度は「イ」の音が語末に入ってしまいます。 まあ、カタカナ発音なんて、こんなものなのです。


いくつかの方針 (2) 「格(Kasus)を表示する順序」 (19.März 2014)

私が文法の授業中に配布するプリントで、 格(Kasus)を表示する順序を1格、4格、3格、2格の順にしたのは 1995年のことでした。 当初は、格を数字で表示するのが嫌で、 主格、対格、与格、属格と(正式名称で)呼んでいました。

日本でのドイツ語教育では、すっかりこの数字での呼称(1格、2格、3格、4格)が定着しています。 いつからどのように広まったのかは分かりません。 でも、独和辞典ではすべて、この数字での呼称が使われています。 ドイツではどうか、というと 1. Fall (erster Fall) のような言い方は、ほとんどされません。 普通は、主格(Nominativ)、対格(Akkusativ)、与格(Dativ)、属格(Genitiv) のように正式名称で呼ばれます。

格(Kasus)の順序を1格、4格、3格、2格の順にしたのは、 (1) このように並べた方が圧倒的に分かりやすい・覚えやすいからで、 (2) 使用頻度からしても、まず 1格と 4格をきちんと覚えて、 それから 3格、最後に 2格と学ぶ方が合理的である、と思ったからです。

table 18, 『解説がくわしいドイツ語入門』 table 18 従来の格の並べ方

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

従来の格の並べ方だと、右の表のように1格、4格の共通性が見えにくいのです。 さらに、4×4のマス目がすべて埋まってしまうという圧迫感があります。 ただ、唯一の見通しの良さは、 数字が上から 1、2、3、4のように並ぶということだけのように思えます。

表18 のもう1つの特徴は、男性の隣に中性を置いたことです。 これによって、男性 3格と中性 3格、男性 2格と中性 2格が同じ形になっていることが明白になります。 このパターンは他の表でもずっと維持されます。 従来の文法性の並べ方は、男性、女性、中性、複数となり、 男性の隣に女性が置かれるという形が通常のパターンだ、 と考える人達には理路整然としているように見えるのかもしれません。

4×4のマス目がすべて埋まってしまう定冠詞の表を見ると、 定冠詞が16個もあるようで、寒気がします(笑)。 実際には、der, den, dem, des, das, die の 6個の形しかなく、これが特定の文法的概念と機能的に結びついているだけなのです。

ちなみに、日本の文法書では、「1格、2格、3格、4格の順に上から下へ並べ、 男性、女性、中性、複数の順に左から右に並べる」のが主流です。 ドイツで出版されているドイツ語の学習書では、私の採用している 「1格、4格、3格、2格の順に上から下へ並べ、 男性、中性、女性、複数の順に左から右へ並べる」方が圧倒的に多いと思います。

なぜなんだろう、と考えてきました。 1つのありうる理由は、 「1格、2格、3格、4格の順に上から下へ並べ、男性、女性、中性、複数の順に左から右へ並べる」 方が規則的に並んでいてきれいだ、 形として美しい、 そんな意識があるのかもしれません。 もう 1つの理由は、自分がそのように学習してきたから、 そのように教える方が教えやすい、 そんな風に考えている人達が教科書を作っている、というものです。

理由を考えずに「形から入る」日本的な風土、 「自分がこれでやったのだから、これがいい」 という保守的な風土が背後にあるような気もします。


いくつかの方針 (3) 「文法」をどう見るか? (28.März 2014)

語学の学習者から見ると、「文法」とはややこしいもの、 面白くない決まり事、のように捉えられているように思います。 その中心は、「規範的」な(=「こうあるべきだ」という望ましい形を示す)ものです。 それに対して、言語学での「文法」は、 通常、「記述的」(=「実際の姿を書き写すもの」)であり、 場合によっては、さらに「説明的」であることもあります。

一般的に、語学の教科書は規範的です。 でも、揺るぎない規範などというものは存在しません。 それは、「強権的な政策」があって初めてある程度守られるもので、 現実には守られないことが多いものです。

現実と向き合う時、「規範的」な文法では足りず、 現実を書くしかない(=「記述的」にならざるをえない)状況になると思いました。

ただ、どこまで現実を書くか、という問題は残ります。 紙面の制約もあります。 そこで、『解説がくわしいドイツ語入門』では 従来の文法書から一歩踏み込んで、 現実のドイツ語を少し見ています(もっと深く突っ込むと、中級文法書になってしまいます)。

例を2つあげます。
『解説がくわしいドイツ語入門』の P.77 のコラム「An was か woran か?」 で、「何を考えているんですか?」という意味のドイツ語として 2つあげています。

(i) An was denken Sie?
(ii) Woran denken Sie?

(i) でも (ii) でも通じますが、(i) の方が口語的、(ii)の方が「堅い」く て規範的です。「正しい」書き言葉なら、(ii)を選ぶべきでしょう。 現実には、口語では圧倒的に (i) の方が多く使われますが、さらに、 Was denken Sie? も使われます。 こうなると、前置詞の an はどこに行ったの、 ということになります。『解説がくわしいドイツ語入門』では、 この第3の選択肢までは書いていません。

『解説がくわしいドイツ語入門』の P.60 の一番上に、定冠詞類の solch- についての説明があります。 2行目から3行目にかけて、 「定冠詞類としては、複数形の名詞の前に付けて solche Autos 『そのような自動車』とする用法が中心です。」と書いてあります。 そしてその後に、(5) a. と b. の例文が出ています。

(5) a. Ein solches Erdbeben ist unvorstellbar.
       b. Solch ein Erdbeben ist unvorstellbar.

(5) a. と b. の例文は、定冠詞類としての solch の例文ではありません。 なんでこんなことになったのか、というと、 ドイツ語母語話者と話していた時に、

       c. Solches Erdbeben ist unvorstellbar.

のような 定冠詞類としての solch の単数用法は、 使われなくなっているという話題になりました。 辞書には載っているのですが、確かに、(5) a. や b. は目にしても、 c. のような言い方は目にしません。 ここでは、現実の用法からこのような記述になったわけです。

辞書には、いろいろな用法が載っていますが、 実は、本当に使われるものだけでなく、昔は使われたものや、 そもそもめったに使われないものも載っているのです。

このように、『解説がくわしいドイツ語入門』では、 規範的な文法の見方から一歩出て、記述的な文法へ近づいている面がある、 ということです。


いくつかの方針 (4) 繰り返すこと:「一回読んだだけでは分からない」のはあたりまえ (20. April 2014)

新しい外国語に触れる時、新しい単語と新しい文法規則にさらされます。 何のことなのか分からない、一回読んだだけでは分からない状態になるのは当然のことです。 そこであきらめずにもう一度読みなおす、 というのは確かに正しいやり方ですが、なななか辛いものがあります。

そこでおすすめなのは、まず大雑把に全体像を捉えて、なんとなく分かった状態で先に進む、という学習方法です。 (100%理解できるまで先に進まない、というやりかたでは、前に進めません。) 「森を見て、先に進みます」。個々の木は、とりあえず無視します。 進んでいったところで、どうしても「森の中で行方不明になりそうになったら」、その時点で分かると思うところまで戻ります。

『解説がくわしいドイツ語入門』では、5課進んだら簡単に要点の復習をします。 すべての学習事項を復習することはできませんから、 「森」にあたる部分だけ、骨格的な部分を例文と共に復習します。

『解説がくわしいドイツ語入門』趣旨 でも述べましたが、 繰り返して学習する時に、頭で理解するだけでなく、 五感を使って例文を繰り返し「体感」すること が大事です。 口と舌を使って発音すること、自分の発音を耳で聞くこと(録音したものを聞くのも効果的です)、 手を使って紙に文字として書いてみること、それを自分の目で確かめること。 このような活動を繰り返すことで、効果的にある言語との「接触」を高めることができます。 外国語の学習は、このような観点から見ると、体育に似ています。

ただなんとなく繰り返すことが苦痛であることもあります。 何も考えないで繰り返すことが、何の苦痛でもない人もいるかもしれません。 最終的に、どのように例文を繰り返して学ぶかは個人的な特性に応じて異なっていいのです。 あの人がこうやっていたから自分もそうしなければならない、ということはないのです。

繰り返しが苦痛に思った時は、想像力を働かせましょう。 例えば、以下のキー・センテンスを見て下さい。

(1) Deine Tochter ist kein Kind mehr.
(第10課のキー・センテンス) 君の娘は、もう子供ではありません。
(2) Seit einem Jahr wohne ich bei meiner Tante.
(第11課のキー・センテンス) 一年前から私は叔母のところに同居しています。
(3) Der Siebzehnjährige schwimmt morgen im Endkampf.
(第15課のキー・センテンス) その 17 歳の少年は、明日、決勝戦で泳ぎます。
(4) Treiben Sie doch mehr Sport!
(第16課のキー・センテンス) もっとスポーツをしなくっちゃいけませんね。

(1) の文では、ある男性が年頃の娘がいる別の男性に向かって忠告している場面が頭に浮かびます (ドイツ語の文から判断すると、ある女性が別の女性に言った可能性もあります)。その娘さんは、例えば、コンサートに行って夜遅く帰ってきて、 心配していた父親が頭にきて、帰ってきた娘を怒鳴り飛ばしてしまった。 するとその娘さんは逆切れして、怒って家を出ていってしまった。 こんな話が背後にあるかもしれません(想像というか、妄想というか...)。

家を出ていった娘は、実はその後、叔母さんのところに転げこんで、そこで 同居生活を始める。叔母さんの家は、実に居心地がよく、気がつくともう一 年も叔母さんと同居してしまっている。そうすると、 彼女は(2)の例文を使って自分の状況を説明することになります。

その女の子には、実は今年17歳になる弟がいて、 この子は小さい時から水泳の英才教育を受けてきた。 明日は、全国大会の決勝戦で、彼が決勝で泳ぐことになっている。 これが (3) です。「その17歳の男の子」と話題にしているのは、 実は、彼女にとっての弟。 お姉さんとしては、是非、決勝戦で泳ぐ弟を見に行きたい。 でも、決勝戦を見に行くとお父さんやお母さんと再会してしまう可能性があ る。悩ましい事態です。

一方で、メタボ気味なお父さん。コレステロールや中性脂肪が高いだけでなく、血圧も高め。 健康診断の時にお医者さんに言われてしまいました。(4) 「もっとスポーツをしなくっちゃいけませんね。」(CDの音声は、かなりの迫力です。)
さらに、 「いつもエレベーターに乗ってばかりいるのではなく、階段を歩きましょう。」 なんて言われたかもしれません。

このようにいろいろと想像しながら繰り返して発音することで、 効果的にドイツ語との「接触」を高めることができます。 そうすると、記憶に残りやすくなります。


いくつかの方針 (5) 中級への橋渡しを意識する (11. Mai 2014)

初級ドイツ語文法書や、初級ドイツ語入門書は、一般的にとても易しく書いてあります。 初級だから当然だ、と言えますが、こういう入門書には中級への橋渡しがない、 という印象を私は受けます。 中級レベルでは「こんなものがあるんだよ」という話や、 「実は、この話には先があるんです」という部分が入門書にも必要なのではないか、と思うのです。 つまり、初級でドイツ語をやめてしまうのではなく、 機会があったらもっと続けて勉強して欲しい、 そんなきっかけを与える必要があるのではないか、と思うわけです。

そうは言っても、ページ数は限られています。 そこで、コラムや Q & A、「…の話」を使って、 ちょっとずつ紹介することにしました。 その結果なのか、初級の自習書を求めている人ではなく、 中級レベルの参考書を求めている人も購入してくれているようです。

例えば、「消えつつある2格」の話は、Bastian Sick 氏の有名なコラムと、 それを機に作られた一連の本。 中級以上の力がないと読めないかもしれませんが、 とても面白く書けているのでぜひ読んで欲しいシリーズの本です。 この他にも、コラムでは「wissen と kennenの違い」や、 「ドイツ語の進行形」の話、「名詞中心の表現法」などで中級へとつなげよ うとしています。実際には、わずかな説明しかできていないのですが...(コラムの限界です)。 また、 Q & A では、 形容詞が2つ以上並んで時の語尾と意味の話、 時制のずれを必要とする従属接続詞の話、 ドイツ語の関係代名詞にも非制限的用法があることなどを取りあげました。

「…の話」シリーズは、そもそも練習問題のページを入れて4ページという制限にどうしても収まらない課で、 ページ数調整のために入れたものですが、 「1ページで1つのトピックを箇条書き風に書く」というのは、 コラムよりも書きごたえがあって面白いページだと感じました。 結果的には、「man の話」、「Es gibt + X(4格の名詞) の話」、 「hin と her の話」、「das と dass の話」、「<was f&#uuml;r+名詞> の話」 の5つを書きました。

1ページでも収まらないものは、付録にまわしています。 ここらへんは、『ドイツ語文法へのプロローグ』と似ていますが、 「Ja, Nein, Doch の使い方」、「否定の種類とその位置」、 「心態詞の使い方」、「数字、序数、年号、単位などの読み方」、 「時刻の読み方」があります。 「不規則動詞変化表」も付録ということになっていますが、 書かれた意図としては異なっています。

で、実際には、付録の部分もネイティブの方に読んでもらっていますが、 1枚のCDに収まらなかったためにカットになってしまいました(残念)。 「心態詞の使い方」の例文の音声は、 よく取れていますので本当は聞いてもらいたかった部分です。 公開できればいいのですが...。